2009年06月30日

マニフェスト関連:少子化対策について、6月30日投稿


◎マニフェスト関連:少子化対策について(その6/資料編)


 前回@の解説では、少子化のスピードダウンが、容易ではないこと。即ち、少々の対症療法では、日本民族が絶滅種の立場からの脱出実現は確率的には困難であろうとの見通しをその理由を付して述べてきた。では、どの程度に此は困難であろうか。このところ日本の若い男性は、草食動物化したと言われ、一方、若い女性は肉食動物化しているとも言われる。どうも日本の男性は、自然法則に関する知識もなく、社会環境からも去勢され、草食動物化したとも見られる。この状況は困ったことだとの認識は、マスコミにもこのところ生まれているようだが、これを積極的に改める具体策・原因療法は有るのかと見てみると、この点がすこぶる怪しいのである。
 マスコミがこのところ少子化対策の重要性を主張していることは喜ばしいことであるが、これが消費税引き上げや、大きな政府実現への既得権者の活動拡張の口実に利用されることがないのかと心配である。日本教の風潮の中ではマスコミとしてはほめるべき事例なのに、それにケチを付けるようで悪いのだが、6月22日の日経朝刊の社説の例を見よう。このところ、「チェンジ!少子化」というシリーズものを展開しているが、この日の社説は「生活重視の職場風土に改めよう」という主張を述べている。その主張を引用の形で要約すると、『職場を生活重視に変えるポイントは3つある。先ずトップの指導力、次いで管理職の意識改革、第3に男性の働き方だ。』となる。内容はお説教であり、これでは、政策の提案、原因療法の具体的提案とはならない。即ち、お説教が不要だとか、無意味だとは言わないが、日本民族がここ数十年絶滅種への道のりを続けているという危機的状況の中では、このような手ぬるさで良いのだろうかと疑問符が付くのである。前回ブログの末尾などに述べたような、官僚制度の問題点に切り込んで置かないと、折角のマニフェスト選挙の機会なのに、この貴重なイベント学習の機会として十分活用できない上、下手をすると、「ゆとり教育の是正」問題の例のように、方向音痴とか焼け太りの結果さえ心配されるのである。このブログの立場は明るい未来に向かって、最大多数の動員を誘うような参加型の、原因療法の具体策を、なるべく多くの人から案出提案してもらいたいという立場である。マスコミはその媒体となって欲しい。当ブログは、くどくどしくて恐縮だが、若年労働者の時間外労働規制の強化と、税制改革、さらには、教育制度・教育内容の改革にも踏み込み、この為には公務員制度の改革まで随伴する必要があることを記述している。また此が出来るのは、マニフェスト選挙を確実に実施することとも考えているものである。
 もう一つ例を挙げよう。此も「チェンジ!少子化」キャンペーン社説の一例である。6月28日日経朝刊社説の表題は、「日本の「結婚」は今のままでいいのか」として次のように言う。その内容要約を引用の形で述べると、『法的に結婚していない両親から生まれる「婚外子」の割合が欧米諸国で増え続けている。……(昨年出生児中婚外子の割合、フランス53%、スゥェーデン55%、米国40%、独30%、日本2%)……欧米で婚外子が増えているのは、……結婚とは別の形のカップルを法的に認める仕組みが生まれ、婚外子の概念そのものが変わったことが大きい。……(例:スゥェーデンのサンボ、フランスの連帯市民協約)……婚外子の割合が増えたからと言って、出生率が高まるとは必ずしも言えない。ただ。フランスの昨年の出生率は、2.02、スゥェーデンも1.91と先進国の中で高い。……日本の結婚の在り方が、少子化の一因となり出生率上昇の妨げとなっているとすれば、障害を取り除く必要がある。それは、婚外子の相続差別をなくさねば始まらない。』
 もっとも、同時にこうも言う。『2006年内閣府の世論調査では、58%が婚外子を法律上不利に扱うことに反対しながら、民法の相続規定に対しては、41%が「変えない方が良い」と答え、「相続額を同じにすべきだ」の25%を上回った。此も日本人の家族観、結婚観の表れである。』
 以上の社説の主張は、事実上、少子化について悪いのは国民であり、官僚ではないと主張することになってはいないのか。国民にお説教をすれば、少子化が直せるとでも思っているのか。現在の日本では、両親の介護がしばしば長男の嫁が担当することが多く、さもなければ次の順位は、兄弟の誰かとなり、非嫡出子が、父親の介護をするという例は先ず無いのではないのか。その実状を頭に置いて、世論調査結果が、相続規定は当面は変えない方がよいとなったのだと考える方が自然だと思う。此は、老人介護の制度に問題があるのであって、従って、官僚の実状に関する認識不足、及び、その結果としての失政を追及すべき問題であると思われる。
 日本民族の対外比較で優れた点は、真面目さ、勤勉性、信用を大切にする点(誠実性)にあり、しかもこの優れた資質が、社会の上層部に限らず(ノブレスオブオブリージだけではなく)広い底辺を持っていることが特徴点であり、ある意味では強い対外競争力を持っている。また、このことはむしろ日本では特徴とは思われず、一方、海外ではむしろ強く認識されているもののようである。この事実を教育内容に取り入れ、日本民族は自信を取り戻し、将来の明るさにつなげるべきであろう。
 なお、念のため、この一面を語る新聞記事を引用形式で見ておこう。日経新聞6月29日の夕刊にある「シングル親の介護に直面」と題する記事である。『晩婚化が進む中、結婚よりも先に親の介護に直面する単身者が出てきている。婚活どころか、仕事もままならない。将来不安を抱えながらの介護生活をどう乗り切ればよいのか。』ではじまり、実家のある滋賀県の民生委員に言われ、東京のソフトウエア会社を退職して故郷に戻り、親の介護をすることになった53才の独身男性の話を紹介している。前記の、民法相続規定の改定が先、とする社説の結論が如何に民意を離れたものであるかが分かるはずであろう。
 ところで、この社説にも見直すべき良い点がある。即ち、これは資料提供としては貴重な情報を提供している。即ち、少子化の是正は、日本教が導出するような困難という結論ではなく、やりようによってはかなり早急な是正が、物理的には、換言すれば、自然や神の摂理に従えば、実は、可能、かつ、さして困難ではないという証拠を提出している点である。だからこそ、これを可能にする、官僚制度の改革・公務員制度の改革に重点を置いた、マニフェスト選挙の実行を大切にしたいのである。
 また、寄り道が長くなってしまった。以下本題にはいる。


A資料:「年金制度回顧録」について
 此は2008年7月23日の日経新聞からの引用であり、資料的には孫引きになることをお許し頂きたい。記事は、「ザ厚労省」という連載記事の第1部5で、「戦略無き取り繕い行政」という表題の記事に依存している。資料は以下の通り、
 『厚生労働省のベテランなら皆知っている文章がある。公的年金の源流である労働者年金保険制度の創設に携わった旧厚生の花沢武夫(故人)らによる「厚生年金保険制度回顧録」だ。発刊は1988年。こんなことが書いてある。
 すぐに考えたのは膨大な資金の運用ですね。何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。厚生省の連中がOBになったときの勤め口に困らない。年金を払うのは先だから、今のうちどんどん使ってしまってかまわない。先行き困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない。』
 以上から、多くのことを読み取ることが出来るはずである。官庁の単年度会計も問題だし、官僚は天下り先の確保を最優先順位に考えて勤務していることも分かる。プラン・ドゥ・シー、ないし、プラン・ドゥ・チェックの考えもない。公務員だから、失職の危険もない。つまり、公務員制度改革とか、官僚制度の改革が、現在必要不可欠、改革の最優先順位にあるべきだとの結論が自然に出てきて良いのではないだろうか。
 よって、麻生首相が、厚労省分割を口にし、また、すぐにそれを取り下げたのは、日本教の空気の存在を示すものと考えられる。一方、此も日経新聞6月22日朝刊記事「領空侵犯」欄で、松井証券社長松井道夫氏は、「結論を言うと、厚生労働省を廃止するのが医療の立て直しに向けた究極の方策です」と述べ、厚生労働省には、戦略的発想・政策担当の発想が乏しいことをその理由としている。年金制度の改革も、日本の明るい将来への道筋を探るという意味で、正に戦略的発想を必要としているわけで、厚労省には、この戦略的政策担当能力無しという見方では、松井証券社長は当ブログ筆者とほぼ同じ見方と言えそうである。
 公的年金制度は、概ね中位数までの所得者の年金を扱い、この財源は、かなり公的資金に頼り、保険料はその一部とし、その計算記録事務は、従って民間委託として良いのではないだろうか。この民間委託事務の受託会社は、役得はないが、真面目に務めさえすれば、会社がつぶれ失職することはないから、現在の官僚のように、悪いことをしても役得があり、身分も保障されるという程大きな利点はないが、真面目な努力家には、リスクがないという日本人向きにはよい職場となりそうなのである。

 なお、次回は、B高齢者用失業対策事業とか、C人事評価につて考えてみたい。

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2009年06月21日

マニフェスト関連:少子化対策について、6/21日投稿


◎マニフェスト関連:少子化対策について(その5/資料編)

 現在国会審議中の今年度補正予算案、また、来年度予算案の骨格を示す骨太方針、此はつまりは来年度の本予算案を展望してのものだが、これらの当面の経済政策メニューが、このところ新聞に各種報道されている。そうして、これ等のメニューは、来るべき総選挙の与党側マニフェストのメニューになるものであろうし、審議中に表明される野党側の意見は、野党側のマニフェストのメニューを想像させるものとなろう。
 ところで、これ等の案と較べると、このブログの提案するメニューは、少子化対策に最重点を置いている点と、だから、前者2案が、将来の明るさ提示については殆ど期待が持てないのに対し、当ブログ提案は、将来に明るさを持てるかどうかのキーポイントが、少子化ストップの具体策、特にその可及的速やかな停止展望が得られるかどうかという点にかかっていると考え、この点に最重点を置いていることに、当ブログ提案の最大の特徴点がある。つまり、少子化は人の自由意思の結果であるから、その動きを制御することは不可能という前提に、日本教が立脚しているのに対し、つまり与党案ではほぼ100%、野党案でも8〜9割はその考え方を採ると見られるのであるが、これらとは対照的に、当ブログでは、ダーウィンの法則に沿ってまたその範囲内で日本民族が絶滅種になるかどうかが決まってくるとの見方を重視して、この面にもメスを入れる主張を展開しているからである。そして、その上で、当ブログは、少子化停止展望は、@成長率確保=所得向上=需要拡大、A潜在成長率向上=生産力・労働供給力の維持向上、B生産性上昇=技術水準向上、C格差拡大防止、の全てに効果があると同時に、@〜Cについては、此はその効果のための必要条件である、或いは、両者はお互いに裏腹で互いに他と因果関係にある、共鳴し合う関係にあるとも考え、それが明るい未来の展望を開くと主張するものである。以上の点が、前2者とは根本的に違う点と言える。さらにまた、少子化スピードダウンの実現が遅いと、この共鳴的効果は急速にその効力を失うものと考え、従って、前2者(与・野党に濃淡の違いはあるが、両方とも)が主張する程度の軽い少子化対策では、到底明るい展望には結びつかないという結論が導かれるのに対し、一方、このブログ提案では、少子化対策とその関連施策が効果を出し始めると、これ等はシナジー効果を持つので、上記のような多角的経路を通じて、将来の明るい展望が開けることに繋がるから、その違いは、決定的に大きいと主張していることになる。また、前2者の提案が、ともすれば外国の政策の物まね色が強い提案であるのに対し、だから、日本では効果を持つとしても、おざなりの効果になりかねないのに対し、このブログ提案は、日本人の特性をも勘案して、その得意技が発揮できるようにとの配慮を含めることとしており、それ故その効果も前2者より遙かに大きいことが期待出来るものと考えているところである。また、それだからこそ、その施策は、日本の常識からは、やや過激と見られる政策手段の形を採らざるを得ないのである。
 前置きが長くなったが、当ブログ提案(マニフェスト用政策措置群)の特色を、幾つかの視角からその具体的資料材料を確認しながら説明しよう。

@年金制度の抜本改革は、何故、その制度の2階建て部分の「民営化」迄踏み込まなければならないのか。
a) 現行の年金制度の根本的問題点は、平均所得を代表に取り上げ、「現役の5割という所得代替率の維持」という履行不可能な約束を法定している点にあること。
 即ち現行年金制度は、「賦課方式」(注)の上、現役の5割という所得代替率を法定し、此は経済の高度成長期、または、人口構造が底辺の方に広がりのある3角形の場合という特定の条件下においてのみ、履行可能のシステムだからである。現行の頭でっかち、将来の逆三角形の人口構成の場合には、消費税をどんどん引き上げても、消費税引き上げの困難性もあり、年金支給の原資調達は所要金額に追いつかない計算になると見られるのである。
   (注)この点を、日経新聞、2009年2月24日の記事、表題「厳しい将来像愚直に示せ」では、次のよ
     うに言う。「日本の年金制度の根幹は、働く世代が払う保険料がその時の高齢者の年金に回っ
     ている点だ。働き手による引退世代への仕送り方式である。
           この方式は人口変動の影響をまともに受ける。日本は少子化と高齢化が同時に、高速で進ん 
     でいる。……(約50年後の姿を想定すると、)現役世代が仕送りで支え続けるのは、無理があ
     る。(以下略)」
  つまりは、年金制度の抜本改革は、不可避である。この改革を多数決で決めるのはかなり困難なことと見られよう。だから、価格機能で、これを実現する、つまりは、民営化への漸進的移行でこれを実現する以外に良い方法はないと見られるのである。この移行の対象となるのは、所得十分位階層別で8・9・10位の中高所得層である。そのような金持ちについては、この対象となる人達は、計算上の積み立て方式の公的年金(企業負担分を含む)と、うち、大企業ではさらに3階建て部分の企業年金が上積みされている可能性もあり、さらに不足であれば、貯蓄して民間保険会社の年金契約を上積みする選択の自由を持つことになるから、不満は残るとは思うが、此が原因で社会不安が起こるような内容ではない筈である。しかも、この所得階層の人達は、相対的に小人数であるにも拘わらず、現行年金制度では現状の年金支給予算の50%を占める支出ウエイトの大きい金額を占めている。またさらに、現役の5割という支給額を維持するための保険料以外からの年金支給原資の中に占めるこれ等のウエイトを見ると、この相対的金持ち層への支給原資は、その原資全体の3分の2を占めるほどの巨額になると推計されるものである。この部分をカットすれば、無駄遣いが横行する大きな政府の実現を避け、中負担中福祉が漸く何とか実現出来ると見られる金額と推定される。以上は筆者の勘ピューターに基づく大づかみの推計をもとにする結論である。なお、賦課方式から来る矛盾は、下記の e) の統計値(「1世帯あたりの平均所得額の推移」からも推測可能と考える。
 さて、そうは言っても、また、これには選択の自由があることとは言え、既得権者にとっては、これでは老後に安心は持てないという人々が出てきてもおかしくない年金支給事情となろう(全ての人がそうなるとは思えないが、……)。そして、それだからこそ、此までに記述した当ブログ案においては、2階建て年金の支給開始時期につき選択の自由がある形とし、反面定年制の廃止とその後の就労促進のための税制改正との、抱き合わせの制度準備・合わせ技の改革が必要になると考えるものである。なお、上記制度準備の詳細については、当ブログ4月15日投稿記事中のA項「若者中心のワークライフバランスの改善」、B項「ワークシェアリングの活用」を参照されたい。
 この間、保険料以外の追加原資で、1〜5階層では現役5割の所得代替率を、また6・7階層ではこの5割の所得代替率が漸減するとの想定を行うものでもある。此については、追加原資は現行制度が必要とする原資の3分の1に縮小していることは、再度言うまでもないであろう。
b) このようなきめ細かい想定は、基礎年金の国民年金についても必要となる。だから、野党の主張するようなあらゆる生活形態を含む年金制度を一本化するのは不適当と考えている。一本化は、北欧のように所得格差が小さく、かつ、人口の少ない場合に成り立つのであろう。それ故、日本の場合は、厚生年金と共済年金とは一本化しても良いとは思うが、所得補足率に大きな差がある業種・職種については、これに見合って所得補足率が低くても、自己申告の所得で制度に入った方が低所得層では全員がやや得だと考え、中所得層では国民年金基金(2階建て部分)にも入る、その上の高所得層ではさらにその上に民間生保会社の年金保険に必要に応じ加入するのが有利なように制度設計するのが良いと見られるのである。それ故、国民年金(基礎年金)の原資は全額消費税という野党の主張も不適当と考える。此は少なくとも1割、一般的には2〜3割は保険料収入を原資とするのが適当であろう。国民年金の保険料にも、階層を設けるべきであろう。要は、全員参加型の制度設計・設計の見直しが望ましいという考え方に立つからである。
c) このような想定は、予定運用利回りの決め方についても市場金利から大きく乖離するものであってはならないことになる。この点は、政府与党案では、国民を欺くような数値(4.1%、因みに前回年金見直しでは、3.2%を予定、過去の実績は2%台)が公表されている。一方、野党では、この点には説明が無い。技術的な細目ながら、此は複利計算で用いられ、結果には資金繰り上で大きな影響力を持つ要因なので、マニフェストでは数字の公表が必要不可欠と考える。10年物長期国債の金利が1%台後半にあることを考えると、4.1%は国民を欺くような数値と言えよう。
d) 以上に述べた当ブログの考え方は、経済学新古典派の経済理論に準拠している。要は、市場の失敗が存在する場合でも、それは政府の失敗よりはマシであり、かつ、独占価格(この場合は金利)を避ける場合でも、その規制金利は市場が正常であれば成立する金利を想定して、予定運用利回りを決めるべしとの、経済理論上の結論に従って、制度設計をするべきだとの主張になるのである。

e) 次に、ここではやや視点を変えて、日経新聞5月22日に掲載された、1世帯あたりの平均所得額の推移を表示したグラフについて説明したい。此は最近発表の厚労省国民生活基礎調査の公表数字から作られている。グラフ自体を読者に見ていただくのが手っ取り早くて良いのだが、高齢の筆者はパソコンの技術未熟で、これを seesaa のブログ記事中に再現することが出来ないので、恥ずかしい限りながら、言葉で説明させていただく。グラフは横軸(左から右へ)が年次で、1988年に始まり、2007年で終わる。縦軸は、1世帯あたりの平均所得額で、この図では50万円刻みで、400万円から700万円までの間に、各年の数値が棒グラフで表示されている。
 大づかみに言うと、平均所得額の推移は、概ね富士山型をしており、左側は1988〜93年まで急上昇、約545万円から660万円へと5年で115万円の増加。山頂は1993〜1998年の間で、約660万円と横ばいに近く、この間、1994年に約670万円のピークを付けている。山頂の右側は、左側よりは緩やかに下り、1998年から2007年まで、約650万円から約550万円へと、9年間で100万円の減少、この約20年間にバブルの発生とその破裂があったことをうかがわせる数値となっている。
 ここで年金制度が、積み立て方式から賦課方式へと変わっていった経緯を思い出してみたい。戦後は高度成長が続き、人口も増えていった。戦後の復興と先進国へ追いつけ追い越せと奮闘した世代が、定年を迎える段になって、所得・月給の低かった時代が長かったために、その積立額からの取り崩しだけでは、高度成長後に続いた長期安定成長期も過ごした豊かな生活を送る現役世代と較べると、定年を迎える世代の生活内容が、現役世代とは差があり過ぎると考えられ、せめて、現役世代との比較で、余り大きな見劣りが出ないようにと賦課方式への切り替えが行われたのである。豊かな現役世代は、定年を迎える世代の奮闘とこの世代から受けた養育のおかげがあるのだから、という理屈付けも行われていたように思う。つまり、この切り替えの時期には、現役世代は定年を迎える世代より豊かな生活を続けていたし、この先も続けていけるものとの前提条件が当然のこととしておかれていたのである。ここで、この項のはじめに説明したグラフに戻ってみると、平均となる世帯の所得についてではあるが、もう10年近くも此が反転して低下を続けていることが分かる。この賦課方式は、所得上昇を前提として作られているのに、成長が逆転しているという点でも、最早存在意義を失った制度と言えよう。すでに、人口構成の面でも、少子高齢化が進み、制度維持が出来なりつつあることも見てきたところである。

 このように見てくると、明るい将来を描くことが現状では如何に難しくなっているのかが、良く分かるはずである。そして、この事実を少しく複眼思考してみると、少子化傾向は20年も30年も前から此は予想できたはずである。長寿化の傾向も、過去にずっと続いたことである。経済成長についても、近代化が一巡すれば、成長力の鈍化はある程度はかなり以前から予想できたはずなのである。国際通商、国際通貨の面でも、戦後の繁栄をもたらした条件に、変化が現れてきている。地球環境という面でも、「成長の限界」という国連からの報告書が出たのは、もうかなり昔の話になっている。
 では、何故、予想できた困難に対処策が採られずに此処まで来てしまったのか。つまり、同じ失敗が日本では、相変わらず、何回も繰り返されるのか。
 このように深い詮索をしないと、解決策は見えてこない。日本の明るい将来像など、到底描けないと言わざるを得ないのである。官庁のセクショナリズム、長期計画のない政策運営。複式簿記の視点のない官庁会計。プラン・ドゥー・シーという計画運営体制と計画実施からの学習が共に欠落している体制。また、結果に対する責任体制、等々、問題点があまりに多いことに気がつかなければならない。或る程度このようなことまで、少しずつでも国民の啓蒙に役立つように、マニフェスト選挙が行われるようになって欲しいのである。

 予定した資料の話は、@項の説明だけで長文となった。A項以降は、次回としたいし、また、このところアクセスが増えているので、筆者としてはこれに元気づけられ、投稿も不定期で弾力的に行うこととしたい。
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2009年06月10日

マニフェスト選挙関連:少子化対策について、6/10日投稿


◎マニフェスト選挙と少子化対策について(その3、なお5/13日投稿分を含めれば、その4)

 脱線に次ぐ脱線とその中における重複の発生で、マニフェスト選挙とマニフェストの一例示:6重点項目についての説明が、要領の悪いものとなった点はお許し願いたい。ただし、このブログでは一貫して、実務では戦略的的対応や複眼思考の必要性を強調しており、反面、白か黒かの直線的・直感的議論は、無責任な評論で、長期的影響への配慮を欠く場合が多いことを指摘し、これらを総じて日本教の悪影響として、低評価する立場をとっている。お役人のセクショナリズムについても、同様の傾向(役所毎の各利害という一面性)から、複数並列の現行役所の体制では重複の累積で「大きな政府」につながるものとして、その制度改革の必要性を説いている。この間一方では、国民の側についても、お任せ民主主義はお役所を肥大化させるものとして、官庁依存の安易な行き方の反省が必要、またそうすることが、時間はかかるとしても最終的には自立した市民のためになるとの考え方・改革の必要性を述べている。
  過去のブログを振り返ると、マニフェストの全体像・骨子の検討を、2008年12月10日から2009年3月22日にかけ、9回に分けて検討した。この中には、日本の将来を明るくする道程としての潜在成長率目標2%確保とそのメカニズムの重要性説明も入っている(1月21日〜2月18日の3回)。また此は、官庁セクショナリズムの非効率排除と国民全員参加のシナジー効果とを加味できれば、3%弱の成長も夢ではないことを意味しよう。そうして、絞り込んだ結果の(言わば結論である)当面の重点6項目・具体策の各概略説明とこれ等の相互関連性を、2009年4月1日から4月30日の3回に分けて記述した。その後、マニフェスト選挙が間近になる機運から、マスコミの論議盛り上がりもあり、マスコミが伝える多くの主張が一面的性格の声ばかりであることに対し、当ブログの6項目案は、此等の声とはかなり性格が違っていることを指摘した。すなわち、主要6項目のうち、第1(公的年金の2階建て部分=高額所得者の部分=の民営化=計算上の積み立て方式化案)、第2(若者中心のライフワークバランス回復措置=少子化対策の具体案)、第3(定年制廃止、年金支給開始時期の選択制とそのためのワークシェアリング、具体的には定年後の職場確保と女子労働力化率の引き上げ、そのための税制改正案)、の3点については、5月13日から6月4日にかけての4回で、上記の線に沿って、その補足説明を行っている。
 残っているのは、第4(教育改革)、第5(官僚のセクショナリズム是正改革、高級官僚人事権の内閣府帰属化・官民交流人事、及び、各官庁の成績評価)、第6(道州制指向)の3点となるが、これらは本来的には、いずれも工程表を作って、期間をかけ、一歩一歩実施するような施策であろう。ただ、第4の教育改革は、前回の改革が「ゆとり教育の是正」というややピント外れの方向性で実施されているので、その是正は緊急性を持つものであるし、また、文科省と厚労省間のセクショナリズム是正問題として幼稚園・保育所一体改革という、第2項目との関連もあり、早急に優先解決が望ましい部分の存在として補足指摘しておく必要があろう。
  第4の教育改革では、学生の理科離れとそれによる実学教育面の進歩の停滞・日本の競争力低下にもっと目を向ける必要がある。理系の大卒学生数は、日本では最盛期の6割に減ってしまったようである。また、これを対外比較で見ると、最近中国では年間約40万人、インドでは35万人の理科系大卒生がいるのに対し、日本の理系大卒生は5万人弱に過ぎないとマスコミでは報道されている。その結果の一例では、日本の原発では、つまらない事故が多数発生し、そのために原発の稼働率が米国やフランスと較べて格段に低いし、六カ所村の核燃料工場の操業開始計画が10回以上の計画遅延改訂の上、結局10年以上も完成予定が遅れてまだ出来ていないという現状がある。また、東南アジアからの見学の技術者からは、日本の原子力技術は、中国・韓国より水準が低いとの発言が出るようになったとの報道もある。さらに、このところ建設機械の操作ミスによる事故報告が頻繁に為されている。建機の操作者や、この現場監督はそれぞれその資格を取っているはずであるが、学生の理科離れ傾向の長期継続の結果が現場での技能劣化として表れているようにも見受けられる。日本の人的資源の劣化がすでに始まっていることを推察させるものとして、ゆゆしい問題点と受け取れるのだが、此への対策がすぐに用意されない戦略性の無さは、さらに問題とされなければならない。そして、此への対策が、マニフェストに掲記されないとすると、そのこと自体が、日本の将来を暗くするような問題点と見なければならないと思われてしまう。
 この問題の原因は、学校側の技術者教育に問題があるのか、はたまた、技術者を受け入れた経営者側が技術者の活動環境整備や処遇、先輩からの後輩指導、遅れているとすればキャッチアップのための派遣留学等の対応策への配慮が欠けている点等等に問題があるのかと、あれこれ考えてしまう。しかし、何れにせよ、濃淡の違いはあるとしても、両方に問題有りと見て、その原因療法を考えるべき状況と思われる。対策はいろいろあり得るはずである。因みに、日本の昭和初期の自動車会社からは、日本の熟練工がアメリカへ技術指導を受けに行き、アメリカ側も当然のことながら、肝腎重要な機密事項は教えてくれなかったが、その派遣者は、アメリカの工員達が業後に呑みにゆくバーへ行き、工員達との会話を通して、アメリカの機密技術の要点の聞き出し、かつ、推測も加えて、ほとんどその全容を会得して帰ってきたという歴史の記録がある。学生の理科離れと理系技術者の技能劣化とは、彼等への動機付けに欠けるところが大きい原因のようにも思われる。いずれにせよ、この事態は、日本の潜在成長率低下に、大きく影響する要因と考えられるから、各方面からの対応措置が準備されなければならない筈であろう。2大政党のマニフェスト作りの担当者には、このような戦略的配慮を行ってもらいたいと、筆者は切に思う次第である。
 その対応措置は、大学数やその定員を増やすよりは、高校以前の教育課程で教員の質を高め、授業内容を面白く分かりやすくすることが大切である。これは、知育偏重で暗記の量的拡大志向の教育では、上記のニーズには合わないはずだからである。これは理系の学問では特にそうである。また、文系の学生に対しては、結果の平等を狙わず、機会の平等確保(つまりは、奨学金制度の充実を伴うとの条件付き)を狙いとして、道州制単位で少数精鋭の公立優良校を作り、国の指導層を育成する教育制度を探求する必要があると考えられる。大学に入ってからも、判断力を高めるために、古典教養教育を推奨する意見も傾聴に値するし、判断力の鍛錬には、会話能力、討論の能力を高める実技の機会が増えるような制度的仕組みも望ましいのではないだろうか。
 また、その財源は、公的支出補助金は従の役割分担とし、学校法人の財政面の強化は、税制で、つまり、寄付金控除の拡充で主として行われるべきであろう。ここに価格機能が働く余地を取り入れることが肝要と思われる。補助金から、税制の寄付控除へと財源を切り替えることは、大きな政府から小さな政府への方向性のある制度改正になることも理解していただけると思う。優秀な大学は、公立と私立が併存し、結果の平等ではなく、機会の平等を確保しつつ、現在の日本の優良専門大学は、少数精鋭でレベルアップを図るべきであろうと思われる。そうして、潜在成長率確保の実績を確保できる段階で、つまりは、少子化が止まった段階では、大学の定員を増やす方向を考えても良いとは思うが、教育内容も、教養教育・古典教育をかなり重視し、形態も生涯学習の形を取り、夜間の定員を増やす、キャリアアップ教育を充実させる等の方向で、教育内容を考えるべきであろう。因みに、アメリカでは、専門教育の少数優秀大学と、コミュニティーカレッジという多数の大学とがあり、アメリカの専門優秀大学は、入学の難易度より卒業の難度がはるかに高く、卒業困難の学生は、コミュニティーカレッジへの編入が斡旋されるそうである。これにより、学問の水準の向上と劣化防止が図られていると見られる。日本では、教養教育・キャリアアップについては、スローアンドステディーコースが準備されるという方向性が、日本人の習性:誠実・勤勉・信頼性が高い・忍耐力有り等の特性に合っていて、最大多数の最大幸福を実現する正攻法になるものと見られる。
  何れにしても、教育制度を如何に改革してゆくかは、米百俵の精神に基づき、充実の方向で、また、その方向性を間違えないように実行することが望まれる。
 第五の、セクショナリズム排除対策が、急を要する事由は、厚労省と文科省の高級官僚人事を、内閣府に帰属させたり、これらの人事に官民交流を取り入れることが肝要と見られるからである。官庁の抵抗は強いだろうが、だからこそ、マニフェスト選挙でこれを民意の多数決で決める形が望ましいということになる。此については、小泉改革の郵政選挙に習って、強力な実行体制を整えることが望まれる。その方法論のコツは、竹中大臣日記に詳しく書かれている。そして、此が実効を挙げるためには、各省の成績評価を行う仕組みを創設定着させ、此れについては特に情報公開を行うべきであろう。それゆえ、マニフェストとか、改革工程表には、数値目標が入ることが望ましいし、その目標達成状況とか、それとの乖離があった場合には、その要因分析の結果報告を、行政管理庁・会計検査院・ないし、第3者機関の監査法人にさせるようなシステムが計画されるべきである。与党でも、野党でも、このような資料を国会に提出せよと要求することが、国会議員の役目の一つと思われるし、此が為されないのであれば、これをマニフェストに取り入れることを、与野党が競い合うような雰囲気作りからその世論喚起の手順へと、事を進めるべきであろう。その推進担当者については、本来的に、これはマスコミの役割でなければならないと筆者は考える。このような方向性を作るために、学校教育や社会教育が、それなりに為される様に進化することが望まれる。そうでなければ、国民は救われないように思われる。だとすれば、此と並行して、国民を救う立場にあるオンブズマンの制度を作っておくことも大切となる。此は、本来は公営とされているが、非営利団体形式で、かって自動車の排ガス規制でラルフ・ネーダーが活動したような、民間のオンブズマンが活動する雰囲気を作るように、社会教育が為されてしかるべきとも考えられる。
 さらに一言加えると、日本の現状は、複合汚染の結果、複合不況に陥っていると見られる。少子化をもたらした要因と、金融バブル崩壊による要因とが共鳴するように働き、両方の原因から事態が悪化し、不況に陥っている。日本教のような構造要因もあるし、減反政策を採りながら、耕作放棄地が大きく広がるという問題点も、上記6項目の対象から外れながら、なかなか手が付けられないでいる様に現状の困難の度合いはかなり大きい。しかしながら、あまりに細かく、沢山の事項に目を奪われると、虻蜂取らずになるので、中心的6項目に絞り込んで、これを強調するという戦略的対応も、この際は肝要という配慮を行うべきであろう。
 なお、次回は、上記の更なる補足、資料的追加という位置づけで、2週間後に、世帯所得の長期動向数値についてと、「厚生年金制度回顧録」という資料と、また、高齢者の失業対策事業の対象として何が望ましいのかに関する提案、等も加えて、構造改革を推進する方法について追加的補足を考える予定である。

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2009年06月04日

少子化対策にある特殊論点・マニフェスト選挙での留意点、6/4日投稿


◎マニフェスト選挙と少子化対策について(その2)

  このところマスコミ各社が、一斉に年金不安を取り上げたことをテレビの週間ニュース解説番組経由で視聴している。これは多分、厚労省が5月26日に社会保障審議会年金部会に公的年金の世代間格差に関する推計などの新たな試算を報告したことがマスコミに流れたことによるものと見られる。年金の世代間格差があまりにひどいので、これでは若者の年金離れが起こっても仕方がないとして、公的年金制度の抜本改革が、喫緊の課題であることを、新聞も・テレビも一斉に取り上げるようになったのであろう。そうであれば、この様な現状に関する貴重な情報を今日まで伝えていなかった厚労省は、この際、断罪されなくても良いのかどうかについて、改めて國のリーダー(与党・野党とも)、マスコミ、国民自身は考え直す必要があるのではないのか。筆者がつい最近も問題にした、「よらしむべし・知らしむべからず」の体制・日本教の空気の蔓延については、筆者は、これまでこの事態を約2年前から取り上げながら、また、このことを述べた拙著を、一部マスコミの論説委員にも寄贈してきたが、KY人間の言うこととして、マスコミからは無視されてきたように思うのだが、そうして、最近のこの大変化については、それ故まことに喜ばしく感じているところである。
  それはそれとして、同時に、この喜ばしい騒ぎについても筆者には気にかかることが有る。つまりこの年代間格差の拡大、若者の公的年金離れは、何が原因で起こってきたのか、公的年金制度の何処に欠点があり、その欠点をどう直す必要があるのかについて、論議・解説の展開がさっぱり見当たらない点を問題点として上げたい。この点は、前回のブログでも問題点として上げた考え方と同種の問題点である。厚労省も、その隠れ蓑ではないかと見られる社会保障審議会年金部会も、はたまた、國のリーダーもマスコミも更にまたこれに目立った抗議もせずに傍観していた国民も、これで良いのであろうか。こうした声を上げただけでの実行面のない傍観は、結局は、気が付かなかったわけではないよという「アリバイ作り」と見られても仕方がないのではないか。抗議行動が必要な段階に来ていると思うし、だから国民は、次の選挙をマニフェスト選挙とし、そのマニフェストを通して、早急に年金制度の抜本改革が必要であり、かつ、厚労省からの人事権取り上げ、その必要な理由の周知徹底に向けて、努力を重ねることが必要と思う。要するに、そうしないと、日本の明るい未来は描けないという論理関係・因果関係について、分かりやすく、かつ、出来れば聞いていても面白い、説明会・討論会・情報公開・党首討論会などが行われて欲しいものである。
 麻生首相の言う、消費税引き上げを言うから、政権担当能力があるという論理は、この場合は成り立たないことについても、確認しておきたい。消費税は徴収が容易だというだけで、大衆課税であり、貧困格差拡大的な性質を持つ税金である。当然年代間格差を拡大する性質も併せ持ち、若者の公的年金離れに対し、原因療法としては役立たないと見るべきであろう。公的年金の抜本改革をどのようなメカニズムで立て直すかの、体系的な政策パッケイジが提案されてしかるべきである。筆者は、一つの例示として、6項目の政策手段をすでに例示し、その効果の発現と波及経路についても、既に説明している。これ以外に同様の政策パッケイジと、その効果発現経路についても、提案及び説明があってもしかるべきではないのだろうか。筆者の記憶では、日経新聞に、3大全国紙及び日経新聞も加え、全てが年金問題の中心を国民年金保険料の納付率の低さとしてとらえ、その打開策としては、消費税引き上げがその中心手段であるという、解説記事を読んだ記憶があるのであるが、この様な画一的考え方と発想の貧困さは如何なものであろうか。対策が対症療法的で、原因療法に及んでいないのはおかしいと思うのは、筆者だけなのであろうか。消費税引き上げ以外にも、また、筆者の6項目提案以外にも、たとえば、学者などから、体系的な年金改革提案があってしかるべきであろう。たしか、北欧型の高福祉高負担型にせよという議論はあったとは思うが、これは、消費税引き上げの延長のように筆者には見える。これ以外のものが、私の耳に聞こえてこないのは、何故であろうか。マスコミには、このような大問題については、是非ともバラヤティに富んだ、提案を伝えたり、比較したりする役割を担って貰いたいものである。
  政府やマスコミのこの様な迷走状況が気になったのかも知れないが、マスコミの一角、読売新聞の渡辺恒夫会長が、安心社会実現会議において、厚労省の分割案を提案し、これを受けて、麻生首相がこの案の検討を官房長に指示したことが伝えられた。これと共に、厚労省所管の保育園と文科省所管の幼稚園の一括運営についても、同様の検討がなさるべしとの声も上がった。しかし、厚労省分割案は、関係官庁、それとつながる族議員が一斉に反対の声を上げ、麻生首相は事実上の腰砕け状態となり、麻生首相はこの指示の取り消しにこだわらないという発言をするに至っている。大山鳴動してネズミ一匹とはこの様なことを言うのであろうか。保育園と幼稚園との連携運営についても、官庁・政治家のセクショナリズムの影響で、もみ消されたようである。日本教の空気が如何に弊害が大きいかを示しているのでは無いだろうか。大平洋戦争の体験を持つ筆者としては、国民が310万人も無駄死にをしたのに、日本教の空気の弊害について、未だ、この無駄死体験・日本の近現代史から何も学んでいないという国民は、そろそろ目を覚まさなければいけないと思うし、この点は、目前に迫った総選挙において、これをマニフェスト選挙の形にすることにより、そしてまた、近現代史からの学びを生かすか殺すかについて、マニフェストの具体的な項目で、例えばどの項目がセクショナリズムの打破に資するのかどうかを考慮することにより、意識的に自覚を持って、選挙の意思表示をして貰いたいと思う。
 付言すれば、渡辺恒夫氏も、現状の閉塞状態に対し、何の新規対策もその打破のために提案されないことについて、気にして居られたのではないのだろうか。厚労省分割案は、厚生大臣の発想の貧困に対する不信任案ととれないこともないのではないか。渡辺氏は、ねじれ国会の迷走状況についても、現状打開のために、大連立の提案を既にされた経緯もお持ちである。大連立も、年金改革を実現するためには、一案であることに間違いあるまい。この案が壊れたのは、この実現のための根回しが不足したから、と言えないこともないのである。麻生首相の腰砕けは、マニフェスト選挙の必要性を、一層強く感じさせる出来事として、マスコや心ある評論家は、声を大にして報道してもらいたいものと思う。
 その後、前回述べた企画庁の計画、即ち、日経新聞社の社説にフォローのあった少子化対策案は、経済財政諮問会議に民間議員の提案として提出されたとの新聞報道を見た(5月29日付日経新聞)。この案が現政権のマニフェストと言うことになるのだろうか。この案には多少の少子化対策(子供手当)と世代間格差対策(教育費の国庫負担増)が盛られているようではあるが、この程度の少額では、少子化にストップをかけるには力不足であろう。教育改革や、筆者の提案したワークシェアリングに踏み込まないと、その少子化対策としての実効は上がらないのではないか。また、公的年金の資金繰りを左右する積立金運用利回りも、報道のように4.1%を使っているのであれば、その実績値は確か2%台であるし、長期国債利回りが2%を割っている状況では、そして此は複利計算で影響が出る話であるから、此で年金破綻や少子化抑制を期待するとすれば、太平洋戦争中に神風が吹くから、日本は戦争に負けないという主張があったのと同程度の知能指数を持つ戦略案と見られる。厳しく見れば、アリバイ作りの玉虫色の作文と同程度の作品である。民間議員も、小泉内閣時代の4名と、今回の4名とでは、大学生と中学生くらいの力量差を感じさせるものがある。要は複眼思考が出来るか出来ないかの差がある様に思うが、如何であろうか。なお、竹中大臣日記を読むと、民間議員提案は、首相からサポートが得られるように根回しして、提案しないと、会議で集中砲火にあって、沈没してしまうようである。だから、民間議員の力量だけの問題とするのは、やや気の毒かも知れない、担当大臣の力量の差も反映したものと言うべきであろう。だから、民間議員提案だなどと言わない方が良い。民間議員は、企画庁(正式名称は内閣府)提案とは別に、こんな案もあり得るよという案を別に出すべきではなかったのかと、思われる。そうでなければ、参謀としては役立たない筈だからである。
 本論からは、やや脱線しているが、若者の年金離れを直すには、若干の子供手当や学費の国庫負担くらいではもう間に合わない時期になりつつあるのではないかと感じられる話を次に述べておく。
 これは、アラフォー(40歳前後)のサーフィン好きの青年の話である。彼は一部上場大企業・電気通信会社のシステムエンジニア(単身)である。単なるプログラマーよりは上位のシステムエンジニアだから、当然所得は中位数よりも高く、平均所得に近い収入を得ていると見られる。それでも、彼は日本の生活・将来に見切りを付け、インドネシアのバリ島へ行って、企業を起こそうかと考えているとのことであった。彼の友人が、既に日本の観光客を相手に、ガイドも行い、かつ、ガイドの手配師としての仕事もして、生活が成り立っているから、それを見習っていろいろやってみたいという話のようである。インドネシアの生活は、現地の食事は激辛で、老人には合わないが、若者にとってはおいしくて極めて安いそうである。だから生活費は月2万円有れば生活ができるとか。それ故、企業活動をいろいろやってみて、一つ二つ失敗しても、そのうちにうまい方法を発見出来そうだということであった。このような青年達を、海外に追い出すように働く力は、不公平な年金制度ばかりではないだろう。働き過ぎでも報われない処遇、また、理系でかっては華やかであった原子エネルギーの研究活用も、昨今では環境問題解決には肝要点の筈だが、この辺についての無知や偏見の存在。こうした無知や偏見が罷り通っているのは、義務教育も社会教育も何処かおかしいという問題、つまり、学生の理科離れを長期間かけて作り上げた、理科嫌いの教員が理科嫌いの学生を再生産し、それが定着している現状という問題。プログラマーについても夢のあるプログラマーの働かせ方について、何等かの工夫があってしかるべきではないのか。さらにこの状態を作り上げた、全国画一的な学生指導要領という問題。また、「問題点はゆとり教育」という問題設定の方法論の誤り。さらに、大学入試合格が最大の目的のような学校の学生指導体制。そうした現状が、日本の将来を暗くしているという認識が欠如している、統治機構とマスコミの意識・認識の低さ・暗さ。まことに問題だらけであり、だからこそ、日本は閉塞状態に置かれているのである。つまりは、年金制度と厚労省だけが大問題ということではない。他にもあるのだが、少なくとも、厚労省と共に、文科省も、日本の将来を暗くした主犯としてあげられるべきなのである。
  少なくとも、女性は、20歳代に第1子を出産しないと、異常分娩の確率が飛躍的に高くなる。此が生物学での事実であり、常識である。だから、この点について重大な異常が起こっているとすれば、義務教育の理科で、此は教える必要があるのではないか。また、此は、男性が草食動物化し、女性が肉食動物化しているという笑い話だけで済む話ではないだろう。学校教育ばかりではなく、社会教育・地域教育・家庭教育も、理科嫌いの先生による理科嫌いの学生の再生産の悪影響が及んでいるということではないのだろうか。こうした事態を無視するような生物は、絶滅種になるように自然界は作られている。日本人は何時生物以外の存在になったのだろうか?
 このように見てくると、厚労省と文科省は、日本を暗くした主犯であるとするのは、ダーウィンやメンデルの自然法則からも理解されてしかるべきなのである。筆者としては、此も大切な複眼思考の一つとして考えている。
 さて、脱線のようになったので、今回は不定期の投稿となった。前回予告した、第3、第4、第5の問題点は、10日頃投稿したい。これらは、今日の話と密接に関係するものとなっている。

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2009年05月27日

マニフェスト選挙と少子化対策について、5月27日投稿


◎マニフェスト選挙と少子化対策について


 前回5月13日に、漸く日本のマスコミが少子化対策が必要なことにつき新聞の社説として言及したことを取り上げた。勿論此は取り上げないよりは一歩前進で、後退続きの潮流の中で、此は大いに評価すべきことなのであるが、しかし、その内容については、此は日本の針路の正否に拘わることであるだけに、筆者としては5点ほど問題点を指摘しないわけにはいかないのである。
 第1の問題点は、少子化の危機の深刻さ・事実関係の説明は、隠しようもなくその通りに書かれているが、これに対する対策の主張が余りにも手ぬるい点である。つまり、これでは、日本の明るい未来は到底描けないし、また、明るさが感じられないからである。
 先ず、この点を念のため確認しておこう。即ち、事実関係からすると、人口危機の最初の難所は21年後の2020年で人口のうち後期高齢者が20%を占め、15才未満の子供は10%にとどまる。その25年後の2055年はもっと惨めだ、後期高齢者が27%となり、子供は8%となる。生産年齢人口は、総人口の半数しかいない(以上出所:日経新聞)。この状態では、現役の給与の50%水準で年金支給を開始するという現行年金制度維持が出来ないのは、余りにも明らかであろう。年金制度維持のために、消費税の増税に次ぐ増税を繰り返しても、逆三角形のような人口構成では、この制度は維持出来ないのである。おそらくその危機の萌芽は、5年もたたないうちに、2階建て年金部分の年金基金運営が行き詰まる形で、年金制度破綻が表面化して来るのではないだろうか。
 それにも拘わらず、これに対する対策としてマスコミの説く政策とは、実に悠長である。前回のブログでは、記述が「緩やかな目標を」という結論部分だけのため、説得力に欠ける恐れがあるので、「緩やかな目標を」の具体的内容を紹介しよう。すなわち、この目標とは、総合研究開発機構(つまりは経済企画庁の外郭団体)が提案しているもので、先ず当面は10年程度をかけて、現状1.2(ただし先行指標の東京都では1.0)の出生率(合計特殊出生率を指す)を1.6に回復させ、その間に年金制度や税制の再設計をする。そして、その後2050年にかけて出生率を2.0強に戻していけば、総人口は9千万人での安定が望める。最初の10年が勝負所である。(以上)というものである。正に、願望の表明だけで、具体策による裏付けのない、お役所が責任をとらないための玉虫色の作文である。太平洋戦争中の、神風が吹くから、また、神風特別攻撃隊があるから、日本は負けない、という思考様式と同様の日本教(注)と言うべきものである。これは、願望であって、政策とは言えないだろう。せいぜい対症療法であって、原因療法では有り得ないものである。つまり、この程度では、年金破綻に対しては、手遅れになるし、日本民族の少数民族化、民族絶滅の趨勢には、ブレーキは掛かりそうにないのである。
   (注)日本教については、過去ログから既に消えているので、「日本教」の命名者、故山本七平氏の
     著書「日本はなぜ敗れるのか」角川書店(文庫本)、または、拙著『日本の針路・戦略不在システ
     ム・「カイゼン」への道』、第1章 c)節 D項を参照。
 さて、第1の問題点について、冒頭に、対策は手ぬるいと書いたが、酷評すれば、官僚もマスコミも、気が付かなかったわけではないという「アリバイ」を述べたものという気配がしないでもないからである。 
  第2の問題点は、少子化の1因には、「プレストン効果」が働いていると見るべきではないのか。そうであれば、これに対しても、きちんとした原因療法が準備されなければならないと思われるが、この点については、与党も野党も発言が曖昧かつ、殆ど無策と言えるのではないのか。マニフェストには、両サイドから、此についての明確な考え方、具体的対応策について、それぞれ述べてもらいたい。要は、世代別の分配の不公平に対し、どう考え、どう対処するつもりかを、態度表明してもらいたいのである。
 煩瑣となる点はお許し頂きたいが、先ず「プレストン効果」について解説する。米国人口学者のサムエル・プレストンは80年代に貴重な視点を提供した。「少子高齢化社会では政界や産業界の関心が多数派の高齢者に向かいやすい。割を食うのは少数派の若者だ。」日本でも、小渕少子化担当相は会合で「若者への投資が十分ではない」との発言を行っている。また、日本の投票者は2007年時点で、60才以上が(人口の)40%、40才以下が23%。世界の先頭を走る少子高齢化大国日本で、プレストン効果の弊害が現実味を帯びてきた。(以上・出所:日経新聞、5月8日記事)
 かくて、プレストン効果の悪影響が、現行の年金制度にも出ており、この制度の抜本改革がないと、少子化はますます進みかねないという現状認識が必要と筆者は考えている。
 つまり、若者は、現在の官僚癒着の政治に対し、不信感を持ち、比喩的に言えば、昔の悪代官に対し、田畑を放棄して逃散をするという抵抗運動が始まっており、此が、保険料の未納として表れたり、国民年金に未加入になったりと、はたまた、国外移住を指向する者さえ有るという動きにもなっているのである。
 長くなるので、第3の問題点(教育)、第4の問題点(官僚のセクショナリズム)、第5の問題点(対策としてのオンブズマン制度の必要性)、については、2週間後に投稿したい。

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2009年05月16日

資料15:ことわざ解説「よらしむべし、しらしむべからず」、5月15日投稿


資料15:ことわざ解説「よらしむべし、知らしむべからず」

 この諺の原典、孔子の教えの本来の意味は、「指導者は自分の人徳を磨き、民衆の信用・信頼を得て民衆を導かなければならない。政策や政府の情報を隈なく民衆に教え浸透させるのは大変難しく、不可能に近いからである。」にあると考えられている。しかしながら、この表現は本文で記述したように、現代の日本の国家運営体制では、政治の指導者達は自己錬磨の必要性には目を向けているとは見られず、一方、「民衆に政策や政府の情報を教えなくても良いのだ」という方向については、個人情報保護法などにかこつけて、マスコミに対する情報規制強化が懸念される動きがあるように、誤解の方向にむしろ重きが置かれながら、現実は動いているようである。
  ところで、経済学的に見れば、孔子の時代・農業社会にあっては、経済の生産力が低く庶民教育など望むべくもない時代であり、最大多数の最大幸福のためには、専ら、指導者の人徳が高いことに期待する以外に道がなかったとの考えは、妥当なことと見られよう。
 しかしながら、近・現代の工業社会、その先は知価社会と言われる状況について、改めて複眼思考をしてみたい。生産力が飛躍的に向上し、最大多数の最大幸福に向けての分配が行われれば、現況を放置すれば経済力が有り余り、人口爆発が起こり、宇宙船地球号が、温暖化・環境汚染で、早晩自滅すると予想されるようになっている。また同時に、この生産力の向上に、近代化、民主主義の基盤が生まれてきたとも見られるのである。つまり、経済力の向上は、庶民教育の普及向上を可能とし、従って、市民の自立を可能にし、住民運動のみのお任せ民主主義ではない、市民参加・市民の自治のある民主主義が可能となるし、また、この様にしなければ、宇宙船地球号を自滅から救う道がない、つまりは、最大多数の最大幸福の実現もないと、筆者は考えているところである。

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2009年05月13日

日本の針路に関する最近の話題:マニフェスト選挙関係・少子化対策について、5月13日投稿


◆少子化対策について

 次の衆議員議院解散総選挙の時期については、現在国会審議中の補正予算が成立したら直ちに行うべしという意見がある一方、どうせ秋には議員の任期満了が来るのだから、その時まで待っても良いのではないかという考え方もあるようである。これは、その程度の軽い案件と言えるのであろうか。日本の危機と言えるような緊急性は無いのであろうか。
 その時期は何れにしても、兎に角次回の総選挙については、日本の将来に明るさをもたらすような、そんな政策目標を持った政策パッケイジ・それも政策相互間で整合性のある政策群の構成を持つマニフェストを掲げた2大政党間の選挙により、次期の日本の総理大臣・日本の指導者が選ばれることが望ましい筈であろう。そして、このためには、即ち、その様な性格を持つマニフェストの例としては、国民に関心が強く、かつ、国民の最大の不安要因となっている(アンケート調査で最上位)、現在の年金制度の持続可能性に対する疑念に、答を出すという点が特に肝要と筆者は考えている。
 現在の政府は、マクロスライドなどという微調整のみで、年金制度は百年安心と言ってみたり、現在は、百年に一度というような経済不安に対する景気対策が優先で、つまり、景気対策に優先順位があり年金改革は後でも良いという、必ずしも安心とは言い切れないものの、年金改革は優先度を低くしても良いともとれる発言が麻生首相からは為されている。と同時に、首相は、自民党は責任政党だから、消費税の引き上げを行うとも発言している。しかし、消費税については、当面の引き上げは、基礎年金(=国民年金)の国庫負担率を3分の1から2分の1に引き上げる内容で、これに必要とする財源の額は、2兆円とか4兆円(消費税率にして1〜2%)とか言われている。そして、この程度の金額では、年金破綻、ないし、財政の破綻を数年先に先送りできる程度ではないかとも見られているのである。換言すれば、年金制度破綻を回避するための抜本改革からはほど遠い内容の話と受け取れるものである。つまり、責任を自覚している人間の発言としては、余りにも無責任な内容の発言と考えられるという言い方もできる。
 要するに、この様にあやふやな情報では、国民としては何とも心許ない状況に置かれていることになる。この状況については、筆者の年代の国民からすると、つまり、昭和一桁生まれの大平洋戦争を経験し、3月10日の東京大空襲の時に、東京が火の海となり、火を避けて学校構内の池のほとりへと逃げまどった経験を持つ人間としては、また、この様な状況に立ち至るまでに、政府発表は、即ち、当時は軍国主義政府で、軍部の「大本営発表」と、これは呼ばれていたのだが、1年前までは戦争は勝った勝ったで景気が良かったのであるが、神風特攻隊(飛行隊)が1機1艦で戦えば、戦争は勝てるということに変わり、まもなく東京が火と海になるという、その変わり方の早さには、考える暇さえも無いという状況であった。又、考える材料・確度のある情報がさっぱり無かったという言い方の方が実体を良く伝えるという状況であった。つまり国民には、大切な情報はほとんど与えられず、いわゆる「よらしむべし、知らしむべからず」という諺(注)で表される状態にあったのである。この点は、軍国主義から民主主義になった筈なのに、実は現状は当時に酷似しているというのが、筆者の実感なのである。やはり、これまでの政府の説明では、マニフェスト選挙用のマニフェストの内容としては、不十分と言わざるを得ないだろう。つまり、これで年金破綻は避けられるという原因療法が、国民に分かりやすく伝わってこないということである。筆者としては、ここ3回くらいで説明したマニフェストの1例では、関連する事項が複数となって取っつきが悪いとは思うが、因果関係の説明付で、原因療法の効果浸透経路が分かるという点で、現在の政府説明よりははるかにましなもの、それも格段の違いがあると自負するものであるが、読者はどのように受け取っていただけるのだろうか。
   (注)この諺については、拙著『戦略不在システム・「カイゼン」への道』200頁「ことわざ解説」をご参
     照。なお、近々当ブログ・サブカテゴリーで、資料として投稿する予定である。
 年金制度の抜本改革、つまりは、年金制度の持続可能性は、少子化対策と密接に関係して来るというのが、このブログの立場である。これはマニフェストの1例になりうるものと考える。ただ、あくまで1例であるから、当然外に、年金の持続可能性と日本の将来の明るさを確信できる政策の集合例が、この外にも有っても良いのであるが、筆者の管見のせいか、筆者は未だにこの様なものにお目にかかっていないのである。
 また、筆者の様な考え方については、これまでは、多分、KY人間の発言として、マスコミにはほとんど取り上げられることが無かったと見られる。しかしながら、最近になって、漸く、マスコミの一つ、日経新聞に、「人口危機の克服へ緩やかな出生目標を」と題する社説が掲載された(2009年5月4日付)。「緩やかな」とか「目標を」とか、まだ日本教に毒されてか、発言に今ひとつ具体性と迫力がないという恨みはあるが、それでも、社説にこのテーマを掲げるに至った点は、大きな前進と評価すべきであろう。 
  でも、この目標をどのような政策手段で実現するのか。願望だの・目標だけでは事態の改善はほとんど実現しないだろう。棒ほど願って針ほど叶うという諺もある。社説は、その末尾に、「フランスなど国民が強い意志をもって少子化の克服に取り組んできた國は着実に成果を出している。日本人もそれを手本とすべきである。」と、国民にお説教をする形式で、お茶を濁している。また、本文の中では、國・自治体・企業経営者・家族間の協力も十分とは言えないというお説教も為されている。無いよりは良いのだが、お説教ばかりで、目標を実現するための具体策の提案が無いのである。日本教に毒されたマスコミの限界なのであろう。これでは、国民を説得しこれを動かすことはほとんど期待できまい。
  筆者は、マニフェスト骨子の1例として、具体的に、若者の日常生活の改善、即ち、現状の働きすぎの状態を正常化するための具体策を、4月15日付投稿のブログで説明した。ワークシェアリング・若者の労働力を代替する女子と前期高齢者の就労促進、その促進手段としての税制改正、部分的な規制強化などを説明している。
  現状で政権を争うマニフェストというと、国民の不安解消・最大の関心事という年金破綻の問題について、国民に分かりやすい説明が為されなければならない。そして、年金破綻は、過去数10年にわたる従来からの少子化傾向に対し、対策らしい対策が採られず年金制度維持の負担が、余りにも不当に後の世代に強くのしかかることが、若者世代の反発を招いていることを意識した上で、どのような手段によりその是正をするのかが、国民、特に若者に伝わらなければ、マニフェストとしては落第ということでは無かろうか。若者は高齢者を敬えという、お説教だけからは、日本の将来を明るくするような成果は、到底生まれそうにないと思われる。そうして、こう考えるのは、KY人間の私だけという状況は、そろそろ変化してきても良いのではないだろうか。マスコミがこういう点について、国民を啓蒙する動きをしてくれないのが、誠に残念というか、これで日本の将来は大丈夫かなと心配になるところである。
 そうして、このマニフェストの1例については、2つの大きな特徴がある。第1は、この様な原因療法を含んだマニフェストの実行には、当然官僚内閣制・公務員制度の改革(つまりはセクショナリズムの打破)が前提として必要になるという点である。これには、官僚が一斉に反対するから、実現性がないとするのが、日本教の考え方であろうし、マスコミの立場は、未だこの立場から脱却できていないようである。だからこそ、マニフェスト選挙で、この点を争って、チェンジを実現して欲しいし、これが日本の真の意味での民主化への道であり、又、日本の将来を明るくすることの出来る王道と思われるのである。
 第2の点は、少子化は、自然の法則に対し、日本人の生活や経済活動が違反を犯したために起こっているという認識の有無の問題である。これはどこかに人間のおごりがあり、この点では、地球環境問題と類似の性質を持つ。要は、人間は生物の1種であるのに、特別の存在と勘違いするから、自然法則に抵触するような個人の自由を主張しているという問題なのである。人間も、生活は個人の自由ということはあるにしても、それは例外は認めないという程ではないのだが、さりとて、主流としては人間は20歳代に結婚し、家庭を作り、第1子の出産は、女性が20歳代で経験するべきであろう。この点は、生物学の常識として、義務教育で教えておくべきである。あるいは、神様がその様に人間をお作りになったと絶対的な信仰を持った方が良いのである。女子の第1子出産が20歳代でないと、異常分娩の確立が急上昇するし、帝王切開は、2度も3度も簡単に出来るものではないからである。つまりは、自然法則に対する違反は、それなりに自然からの報復を受けることになる。日本の少子化現象は、この自然法則違反からも、相当大きな影響を受けている。この事実に対し、日本の統治者が、日本の教育担当者が、はたまた、日本のマスコミが無知でいることについては、何をかいわんやということである。
 政策としては、個人の自由を確保しつつ、つまりは選択の自由を確保しつつ、インセンティブを活用する、価格機能を利用するという形で、国民を良い方向へ導くことが政策の要諦ということであろう。これは試行錯誤を伴うものであって良い。だから、民主主義、多数決、が望ましいのである。また、マニフェストを国民に説明する。失敗には責任をとるということも、統治者としての基本的資格であって欲しいと考えるものである。
  次回の日記としては、2週間後に、若者達の考え方について見てみよう。 
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2009年05月07日

資料14:ロバート議事規則(マニフェスト全体像の検討用資料)、5月7日投稿


資料14:ロバート議事規則(2008年8/28日の日記から再録)

 日本の民主主義教育は、学校教育においても、社会教育においても、基本的な部分で、大きな欠落があると言えるのではないか。この様な観点から、その欠落の一部(教材)を為すと見られるロバート議事規則を取り上げる。
 日本の会議とか審議は、国会論争を始めとして、俗に隠れ蓑と言われる政府審議会の識者の議論も同様の傾向にあり、即ち、およそ議論を論点整理し多数決で審議を進めるという、前向きの作業が、欠落することが多いのではないか。議論は、黒か白かといった、神学論争を行い、結論は玉虫色の作文で終始し、結局は、肝腎のことは、何も決まらないということになりがちである。そしてこれでは、失敗の責任を誰もとらないし、失敗が前進のための肥やしになるということもない。日本の大平洋戦争がそうであったし、現在の少子高齢化による日本衰退の奔流の動きについても、このままでは、歴史的因果関係の動きから見て、大平洋戦争の二の舞になる可能性が強いのではないか。
 これに対し、民主主義とか、市場主義は、こういう欠陥を避けるために生まれてきた、人類の工夫の一つであった筈なのである。
 ロバート議事規則は、自治集団の集団意思を決めるための基礎手続きを標準化したものと見られ、日本市民が民主国家を指向するのであれば、知っておくべき事項と思われる。これは、日本人が日本教から脱皮・進化する上で、役に立つ生活の知恵の一つになるものと思われる。

 前置きはそのくらいにして、ロバート議事規則を紹介しよう。
@「議事規則そのものの紹介」もあり得ようが、原本を読んでその実用価値が分かるほど、日本人は会議の参加経験を多くは持たないであろうし、民主主義や社会参加にも慣れ親しんでいるとは思われない。これは筆者の偏見かも知れないが、……。
 それで、ここでは原本の紹介は行わない。この議事規則は、日本青年会議所の会議、ライオンズクラブの会議、などで実際に使われている。ライオンズクラブは、世界的・国際的組織であることはご存じの方が多いと思われる。なお、この原本につき当たってみたい方は、例えばインターネットには、高知青年会議所元理事氏の解説が掲載されているので、これを参照されたい。
http://kanshi.exblog.jp/3405213/)。
Aロバート議事規則について、私がその重要性に「オヤ!」と気に止めるようになったのは、前FRB議長(中央銀行総裁)A.グリーンスパン氏の「私の履歴書」(日本経済新聞記事)にこれが出てきたからである。
 私は、グリーンスパン(物価より成長重視傾向)も、元FRB議長P.ボルカー(物価安定重視傾向)も、共に偉大な中央銀行総裁(共に経済調査を重視した共通点有り)と考えるものであるが、両者については、一般には、グリーンスパンは、マエストロと言われ,市場との対話を重視し、変幻自在の対応に特徴があり、一方のボルカーは、物価安定を重視し、景気の一時的停滞を恐れず、物価安定こそが経済の体質を強化し、経済の長期的発展をもたらすとの強い信念を貫いた人と、通常は考えられている。
 このように、FRB議長は、ある種のカリスマ性を持つことが大切と考えられる処であるが、グリーンスパンの自伝の中に、同氏が米国大統領からFRB議長に就任を要請され、第1回の会合に出席する前夜には、同氏は、「一生懸命ロバート議事規則を読んでいたわよ」と、同氏が後年マエストロと呼ばれるようになった時期に、彼の若い奥さんから冷やかされたことを自ら書いていたからである。
 これから分かることは、ロバート議事規則は、初歩的な規則で、つまり当たり前のこと、基礎的なことが書かれたものではあるが、実は、基本に忠実な、大切なものだという事であろう。
Bロバート議事規則の基本的な部分を紹介すると、発言者は議長が指名し、議長は会議の進行の交通整理を行う。参加者は、一回は必ず賛否とその理由(誰々と同じでも可)を発言する。参加者の一回の発言は5分以内、なるべく簡潔に行う。また、発言回数は、一人最多2回まで(一回は、反対意見=反論とその理由を述べる機会がある)。一方、同じことを同じ理由でくどくど述べることは出来ない(議長が制止する)。議決は、出席者の過半数を超える多数決で行う。
 一回多数決で決めたことを、覆して再議決するためには、出席者の3分の2以上の多数による議決を必要とする。以上が規則の骨子である。
 このほかに、規則には、当然ながら、定足数とか、議事録の作成、その確認作業等の規定が含まれている。
 さて、以上の様な方法で自治の習慣を未成年の時から経験しておくと、論点整理については、ベテランの援助が必要とはなろうが、日本の市民にも、お任せ民主主義から脱却し、ゆくゆくは自立した意見を持つように変わることが期待できるのではないだろうか。即ち、これまでのような結局は何も決められない神学論争と堂々巡りとを回避し、その反面として、妥協点を見つけながら、試行錯誤の過程を経るにしろ、弁証法的発展を経て、前進する方法を身につける様になるのではないのか。また、此がやがては、自分の意見を持ち、また意見を持つために自ら考えることを、習慣として身につけることが出来るようになるのではないだろうか。そうして、この道のりは遠いとしても、失敗した指導者は責任をとる。一方、失敗を恐れず、失敗から学ぶという方法論を、国民全体が学び、将来に明るさを見いだすことの出来ない日本教からは脱却し、自立した市民社会の市民になるための、基礎からの足固めをするという方向性が見えてくるように思われる。ロバート議事規則は、この様になるための、そしてまた、現在の日本には欠落している、良い基礎教材ということが出来るのである。

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2009年04月30日

今後の構造改革の進め方:一つの結論・マニフェスト選挙(その3)、4月30日投稿


●一つの結論・マニフェスト選挙(その3)……マニフェスト主要課題6項目中CDEの説明

 6項目中の、@高額所得層の年金民営化(=2階建て部分の民営化、計算上の積み立て方式への移行、所得代替率5割を維持とする法律廃止を内容とする改正)、A若者中心のライフワークバランスの改善=少子化対策=出産年齢の早期化・年金改革とも密接に関連:労働時間の上限規制強化・時間外賃金割増率の引き上げ、Bワークシェアリングの活用=Aの実現を補完する具体策:長期雇用者の定年制廃止、2階建て部分年金支給開始時期の自己選択制実施、および、これに見合う税制抜本改革の実施(勤労税額控除制度の導入と配偶者控除・配偶者特別控除制度の廃止)、という3点については前回・前々回の日記で大筋を具体的に説明した。この3点もそうであるが、残りのCDEも、@〜Eを通じて、相互に関連し、そのシナジー効果(共鳴・共振する効果)を狙いとする構造改革の具体策試案である。勿論、構造改革とは、過去の過ちを繰り返さないためのものであり、最大多数の最大幸福を狙いとし、少子高齢化という日本民族の絶滅種への転落危機を防止するための対策ともなり、かつ、3%の長期持続的安定成長を狙いとすための、原因療法となる戦略的な政策措置の集合(試案)である。そうして、この大目標を狙いとする一連の中核的施策の採用を国民に問いかけるのが、これから始まるマニフェスト選挙であることが望ましい。そうして、国民に、これらの施策が望ましいかどうか、原因療法として有効かどうかを判断してもらうのである。また、こうしておけば、事後的には、中期の数値目標の達成度合いから、事後的に選挙の判断が正しかったかどうか、その改良・改変がさらに必要かどうかも、国民に分かるものであることが望ましいのである。つまり、マニフェスト選挙は、国民を啓発する行事、即ち、国民が、自由・自己規律、自立する近代市民社会の1員となるための、修練の行事としても重要性を持つことになる。
   (注)なお、上記@に関する年金崩壊の予兆について、最近の情報を記録しておきたい。a)マスコミ
     では、国民年金の納付率が目標を下回っていることについての報道しか見かけない。しかし、
     b)年金積立金の「予定運用利回り」を、実績を遙かに上回る水準で試算して、崩壊寸前の実態
     を隠蔽する政府説明が行われており、此も年金崩壊の予兆と言って良い。これは、保守主義と
     いう会計原則についての違反が行われていることであり、此も年金崩壊の予兆と見るべきなの
     である。さらに、c)筆者は最近、ある国民年金基金の理事長さんから聞いた話では、多くの国民
     年金基金では、数年でその運用が破綻するだろうとのことであった。厚生年金基金・共済年金基
     金もそれほどひどくはないにしろ、この傾向は見られよう。だから、数年前になるが、401k年金    
     制度が、一部大企業の厚生年金基金で導入され、此への対処が図られたのである。要するに、  
     事態への対処の遅れた多くの基金については、2階建て部分が間もなく崩壊し、基金の解散に
     追い込まれるものがこれからはさらに増えるだろうということである。これらは、年金制度の抜本
     改革を必要とし、年金支給開始時期を選択制にし、後ずれさせる。前期高齢者については、働き
     続けて、年金崩壊を食い止めてもらう、という方向で対処する以外に方法がないのでは無かろう
     か。兎に角、国民に対する情報開示も、啓蒙活動も現在は不十分な状態にあり、国民は不安
     で、将来に明るさを見いだせない状況に置かれているのである。
 以上の予備知識の下で、以下各論を続けよう。


C教育改革
 安倍内閣の下で策定され、福田内閣の下で成立した教育基本法が、改悪であったとの考え方は、このブログではすでに、2007年7月4日〜5月9日に述べた。また、そこでは、教育の内容として、理数系教育の強化が望ましいこと、教育には動機付けが必要なことも述べている(拙著「日本の針路」では、第3章 c) ABC項を、また、この目次はサブカテゴリー資料3を参照)。また、その後、このブログでは、「日本のこれから」をテーマとして、2008年4月23日〜5月14にかけ、2009年度から実施(一部は2008年度4月から前倒し実施)される新学習指導要領について、その内容の方向音痴性を問題点として取り上げている。 
 その後のブログの話題を含め、今回の教育改革「何処がどう違う」について、以下、2008年7月16日の日記を再録させていただく。
第1:ゆとり教育からの転換として量拡大に主力を置いたのは誤り、質の向上で有るべし。
第2:ピサの学力調査で判明した、日本学生の応用力見劣りについての対応配慮が不十分。
第3:ピサの学力調査成績優良国、フィンランドの理科教育授業時間数は諸国中多い方ではなく中位である。フィンランドの特徴は、理科教育の教員資格を大学院卒業者としている点にある。つまり、教員の質の高さが問題なのだ。
第4:今回の教育改革は、その直前に発表された日本学術会議の要望書に沿って行われるべきであった(理科教育について、オーバードクター〔大学院博士課程修了者で未就職の人達〕を理科教員に活用する施策などを提言)。
第5:教育の重要性は、「自習力の向上」「面白さの発見(オール1先生の事例)」「読書の面白さ」にあることをこのブログでは既に述べた(知育偏重=知識の量的拡大、ではなく、理科教育の質的向上が重要であるはず、此は讀解力・応用力の向上にも資する)。
第6:構造改革の一貫としての教育は、将来に明るさをもたらすものであるべきであり、つまりは、TFP(技術進歩率)の向上策、ひいては、国民の理科系資質の向上が、重要不可欠と見られる、(現状は、学生の理科離れが進行)
 第7:それ故、今年の骨太の方針(理科に限定しない、一般教員の量的拡大の議論に終始し、しかも、この的外れの議論さえ議論の焦点である数値目標を棚上げして、抽象論の作文で終わった)は、現下のニーズからすると前進がほとんど見られなかった。また、同時に掲記された公務員改革も、内容の薄い無きに等しいものであり、それぞれ「骨太の方針」の名に値しない抽象論の作文でしかなかった。
第8:義務教育課程の理科の教員は、フィンランドと同様に、大学院修士課程を卒業した者とすべきである。
第9:公立学校の教育指導力を向上させるには、学校別の学力調査結果を公表し、成績の良い学校がどのような学生指導方法で学力向上を達成したのかを究明し、各教育現場が、各自に最良の対処法を考究すべきである。また、教育委員会の制度についても見直しが必要である。
第10:今回の改革に小学校からの英語教育強化が入ったことは悪いことではないが、此は教育の多様化として評価したい。國が画一的に教育内容を決めることであってはならない。このほかにも、中等・高等教育では、議論を戦わせる・集団意思を討論や多数決で集約を図る・等の、実技面の教育・訓練鍛錬が、教育内容に取り入れられるべきであろう。
第11:教育改革は、日本の人的資源を質的に強化する手段であり、少子化の抑止と並んで、日本民族の明るい未来を切り開くための原因療法というべきものである。
 以上のように問題点ははなはだ多いのであるが、この中で現状最大の問題点として掲記すべきものは、理数系嫌いの教員が、理数系嫌いの学生を再生産し、学生の理科離れが累積的に進んでいることと言えよう。即ち、量の問題ではなく、質の問題と考えるべきである。教育改革は、大学受験指向・知育偏重教育という、文科省の画一的中央集権的教育制度を改め、上記のように、理数系教員の教員資格については、大学院卒業以上の資格を必要とするところからでも、改革に手を付けるべきであろう。
 理数系教育の強化は、技術進歩を通じて、日本の将来に明るさをもたらすことになると見られる。
 また、現在家計の負担となっている教育費について、公費負担を増やす方向の施策を手厚くすると、格差を固定化する傾向にある教育制度を改変、機会の平等化を通じて社会の活性化につながるはずであろう。以上の施策の実行に工程表を付け、数値目標を設け、その事後評価も行えるようにすると良いだろう。


D社会改革・日本教の悪い面の修正
 現在のお任せ民主主義、これを良いこととする官僚支配・官僚内閣制による中央集権体制が、現在の少子高齢化・年金不安、将来に明るさの見えない日本国家の運営をもたらしていることは、以上に見る通りであり、現在の日本の指導層が、これを改革する戦略を生み出せていないのも、以上の説明から読者に理解していただけるものと思う。官僚支配は、局あって省無し、省有って國無しというセクショナリズムが定着し、複眼思考による戦略的解決を阻害している。年金問題の解決には、労働面からの補助対策を必要とし、その労働対策のためには税制面からの補助的対策が望ましいのに、セクショナリズムによって、これらが全て停滞し、対症療法・玉虫色の作文・問題先送りで、事態の悪化が止められないというのが現状である。
 さらに、これらの原因究明に必要な情報は中央政府に握られ、情報操作によって政策に対する反論が出来にくい体制が定着している。かくて、太平洋戦争中の日本と、全く同じ閉塞状態が生まれているのが現状と見られる。
 公営でも・民営でも良いから、オンブズマン制度を作ることも、これを打破する一つの方法であろう。与党でも野党でも良いから、このような提言をマニフェストに盛り込んで欲しいものである。
  また、此は地方政府の役割と思われるが、住民の社会参加を促し、意見交換の機会を増やして、民主主義社会・近代的市民社会・自由と自己規制のある社会作りに向けての努力が有って欲しい。即ち、社会参加の機会の多い地域社会作りに向けての政策努力が、各地方自治体の工夫と努力で為されるべきなのであろう。即ち、地方自治体は社会教育の意味を併せ持つ形で市民の社会参加の機会を増やすべきであり、その機会である意見交換の場において、これを論点整理・多数決による意見集約の場として活用し、そのためには、ロバート議事規則(注)を習得・体得する機会とすること迄踏み込んでもらいたい。このような機会が増えれば、多数決の望ましさが社会に浸透することになろう。同じ過ちを繰り返す日本教の悪い面の克服に役立つことが期待できよう。
   (注)ロバート議事規則については、2008年8月28日投稿の日記を参照。また、この過去ログは、
     やがて整理期限が来るので、近日中にサブカテゴリーに資料として再投稿する予定である。
 さらに、中央政府としては、セクショナリズム抑止の手段としても、地方分権への具体的動きを、工程表を描いて推進すべきであり、この点も与党と野党とどちらが優れた案を出すかで競い合ってもらいたいものである。そして、この点については、次項の地方分権の在り方が、関連してくる問題となる。


E地方分権と道州制
 道州制については、サブカテゴリーの資料9(2008年8月20日投稿)で解説している。これによれば、政治とは、国防・外交を司る政権と、生活行政を司る治権とに分かれる。政権は中央政府が司り、生活行政については地方毎に個性があるから市町村単位で行われるのが自然である。ところが、河川管理とか、道路・交通といったインフラを効率的に管理するには、この中間に広域行政単位があることが望ましい。現在は、國の出先機関である、地方の財務局・通産局・建設局・農政局がこの広域行政に携わる一方、地方側には、都道府県という広域行政機関が存在する。この2重の行政機関に、約20万人の公務員が従事しており、これらの重複を無くする事にすれば、10万人位の整理合理化(人件費節約は年間約1兆円、出先機関維持・出張旅費は不含)、公務員改革が実現するものと見られる。
 もう一つ重要なことは、広域行政は、交通・通信機関の発達により、都道府県単位では単位が細かすぎて、調整がとれない状況となっているのが現状と見られる。本四架橋が3本となったり、県毎に飛行場が出来て、航空会社にも、空港設備にも、はたまた、便数が少ないという意味で利用者にも結果的には不便なインフラが出来ているのが現状である。これをもし、民選の道州制知事が住民から選ばれて、広域行政の調整に当たるとすれば、こうした知事は、広域の人々を説得し、責任を負って行政に当たるという意味で、経験と鍛錬を経た政治指導者になるに違いない。つまり、道州制は、良き民主主義政治の指導者育成システムとしても、機能することが期待できるのである。米国大統領に州知事出身者が多いこと、その演説に説得力があることなどは、道州制の利点を暗示するものであろう。
 勿論道州制は、実現するまでに多くの時間を必要とするだろう。県の集合体で、調整会議を持ち、その議長の権限を次第に大きくし、最後にその議長を住民の直接選挙で選ぶというような、時間をかけたプロセスが必要と見られる。
 道州制は、長期の課題として、公務員改革・セクショナリズムの打破・良き政治指導者の育成選抜についての対応手段として、その方針や行程表だけは、マニフェスト選挙に盛り込んで欲しいテーマなのである。


 さて、以上このような6項目が、政策パッケイジに盛り込まれれば、明るい将来を描くための原因療法が出揃い、労働供給(減少の歯止め)・技術進歩によるTFPの上昇・所得増による需要増加・ひいては内需拡大による設備投資増加の、全てについて増加が認められ、これに外需の拡大が多少は加わるものと見て、最終的には、約3%の持続的経済成長が見込まれよう。将来に明るさの見える・ 説得力のあるマニフェストが出来ると思うが如何であろうか。
 ここまで、政策を戦略的に煮詰めることが出来るためには、上記で政策的な失敗が明らかな、厚労省と文科省については、セクショナリズム打破の必要性を明らかにする意味でも、省の事務次官人事について、政治任用とか、民間との人事交流が早急に検討されてしかるべきであろう。此もマニフェスト選挙で公約に掲げて欲しいテーマである。
   日本の針路についての筆者の希望は、上記のマニフェスト選挙への期待で、取り敢えずは、 一段落としたい。

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2009年04月15日

今後の構造改革の進め方:一つの結論・マニフェスト選挙(その2)、4月15日投稿


●一つの結論・マニフェスト選挙(その2)……マニフェスト主要課題6項目の説明


【おことわり】マニフェスト主要課題6項目については、日本の針路・戦略不在システム「カイゼン」への道という表題の下で、その中心内容は既に説明済みである。ただ、此は約1年半から2年前のことで、当時はこの内容は、KY人間の発言として黙殺される状況にあったから、多くの方々は見過ごされていたと思われる。以下は、重複をいとわず、また、その後の世界的不況の進展もあり、現状打開策論議の進展もあって、筆者と同様の意見開陳がマスコミの一部に乗るようになったので、筆者もその意を強くして、重複をいとわず、あらためて以下に、6項目を主要課題とする理由説明を行うこととする次第である。

【項目毎の主張の背景説明】
@高額所得層の年金民営化=計算上の積み立て方式への移行を数年の移行期間で実現すること。
 a)年金制度積立金の不適切運用・不正使用を抑止する方法としては、現状日本の場合、一部民営化による計算上の積み立て方式移行以外には、その代案が見つからないのではないかと考える。そもそも積立金の不正・不適切運用は、年金福祉事業団に始まり、それを改めるように年金庁の組織が出来たと理解するが、そして年金庁の長官には民間人(村瀬清司氏)の任用が実現したのであるが、業務運営の不正はその後も発生し、村瀬氏は引責辞任となる模様である。そして、平成22年1月には、社会保険庁を廃止して、「日本年金機構」という公法人を設立するという。その長には、役人の天下りが復活する(=民間からは引き受け手がいない)とも見られている(出所:ア)News Scrap from 2Ch,2006/5/27:イ)社会保険庁http://www.sia.go.jp/kaikaku/index.htm, 2009/04/06)。
 さて、そもそもこの不祥事続きの制度については、これ以上、信賞必罰の制度を内部に持たない無責任体制の官僚にゆだねるのは、もう止めた方が良いのではないだろうか。「日本年金機構」への移行では、同じ過ちの繰り返しとなる可能性が強いのである。一方、民間に任せれば必ずしもすぐに良くなるというものではないのだが、民間の場合であれば、不正が有ればその責任追及がなされる。同じ過ちの繰り返しは、それだけ避けやすい筈なのである。かくて、本件は、自己責任原則に立ち、長期的な改善を目指すべき事案と思われる。401k方式のように、自己責任・自己学習の必要性を伴うものへの移行を進めるべきではないだろうか。ただ、高齢者にはこれからの学習は無理であろうから、そのような人達には、国債のような安全資産での運用を勧奨する他はないのかも知れない。しかしそれでも、これはあくまで移行期間中の問題にとどまるはずなのである。
 また、日本には、資産運用に役立つ情報や、統計が整備されていないという問題点もあろう。こうした点の改善も含め、時間をかけて改革を進めるべきであろう。
 つまり、このような一時のつらい過程を経て、初めて長期安定的な明るい未来が開けるのである。
 b)以前に説明したところであるが、先進国の福祉関係財政支出は、年金3分の1、医療3分の1、その他3分の1であるのに、一方、日本では年金が2分の1、医療が3分の1、残り約17%がその他向けであり、つまり、育児とか、出産補助とか、また、日本では家計の負担になる教育費の公費負担とか、総じて次世代向けの支出が割を食っているようである。そして、まさに此が、少子化進行の1因を成しているとも言えそうなのである。とにかく、保険での逆選択が起こっているのがその証左である。ではどうしたら良いのか。
 c)ここで問題となるのは、現役の50%の年金額を保証するという「所得代替率」を規定する制度であり、その法定を明記した、前回(2004年年金財政再計算時)の改正法が、年金破綻への道を事実上決定づけたと言える点である。
  即ち、この所得代替率を平均所得と見立てる専業主婦のいる標準家庭をモデルとして説明(事実上の定義と)したことで、高所得者層にもばらまき的年金が約束され、つまりは、日本の年金保険制度に対する公費補助が、日本の国力不相応に拡大したことが問題なのである。その結果、現役世代・将来世代(特に多数を占める中低所得層の人達)は、人口減少傾向と相まって、余りにも不公平な老人世代への仕送りを過酷に強制され、ひいては、将来の明るい人生展望をも奪われてしまったというのが現在の状態なのである。この数値推計はやや複雑・難解であるが、拙著『日本の針路・戦略不全システム・「カイゼン」への道』(第4章b)c)節)、当ブログでは '07.6.20~7.25 にその概要を記述した。この公費補助の金額は、国民人口の60%を占める低中所得者層向けは総額の33%に過ぎず、66%は人数では40%にあたる準高及び高所得者層向けになるという問題点を発生させたのである。此が、人口減少傾向下で行われれば、あまりの世代間不公平・格差拡大的公費の使用であることについて、若者世代が不信感を募らせるのは、当然ではないだろうか。
  よって、年金制度の2階建て部分は、民営化し、当然、金額的に大きいばらまき部分の公費支出を節減すべきなのである。此は、人口減少傾向の緩和と相まって、財政均衡化へ向けての金額的に大きな財政収支改善要因と試算される内容である。この支出削減を受ける相対的少数の準高及び高額所得者層にとっては不満が大きくても当然なのだが、格差を縮小するためには、良い代案が見当たらないのである。消費税は、大衆課税であり、貧富の格差をますます拡大させてしまい、少子化や絶滅種対策、つまりはその原因療法としては殆ど役立たないからである。なお、この不満層への補完的対策は後述する。

A若者中心のワークライフバランスの改善
 勿論、上記の施策だけでは、全員参加型の改革推進は出来ない。此とタイアップする施策が、ここで説明する若者中心のワークライフバランスの改善策とその狙いとしての、少子化への好影響期待についてである。ワークライフバランスの改善については、前回(4月1日投稿)分にその理由説明をかなり掘り下げて行った。とくに、現状の日本について言えば、生物学的に見て、20〜35才の年齢層では、この改善が重要である。少子化是正の原因療法であり、従って、日本の将来に明るさをもたらす主要要因の一つとなるものだからである。
 なお、この意見も、日本教からは無視されやすいのではあろうが、日本人も生物の1種で、この意見を無視することは非合理的と言わざるを得ない。
   (注)日本教については、その提唱者の故山本七平氏の著書を参照されたい。なお、拙著『日本の針   
     路・戦略不在システム・「カイゼン」への道』では、第1章、c)節、D項で説明している。なお、ブロ
     グの過去ログからは既に消えている。

Bワークシェアリングの活用……活用すべき措置の内容とその理由
 この項については、前回投稿のブログ説明で、その内容は尽きている。それ故、以下ではその主要着眼点のみを箇条書き的に列挙する。即ち、
 a)上記Aでは、若い世代の労働時間が当面は短縮してしまうが、これを女子及び前期高齢者の労働  
  参加で、この間の過渡期を乗り切ろうという戦略である。
   つまりは、この2週間ほどの間に成立した政経労の合意とは内容の異なるワークシェアリングの制
   度設計の提案である。
  b)まず、長期勤続した被雇用者については、定年制度を違法とする。本人が希望すれば(つまりは勤 
      労意欲がある限りは)、嘱託としての雇用継続が保証される。この場合高齢者は当然能率が落ちる
   から、歩合給のような形で、低賃金となることはやむを得ないものとする。また配置転換は雇用者側
   の権利とも考える。
 c)b)項の実施と同時に、勤労税額控除の制度を導入する(当然税法の改正が必要)。勤労税額控除
   の制度とは、日経新聞平成9年3月19日付け、「大機小機」欄で(ミスト)氏が推奨した制度である。
   その詳細説明は注記に譲ることにして、この制度とは、同氏によれば、
    『勤労税額控除とは、働いて一定の所得を稼ぐと税額控除の形で減税され、勤労意欲が高まると 
   いう制度である。雇用問題に悩んできた多くの欧米諸国が導入し、高い効果を上げている。低所得
   者には給付を行うので、「給付付き税額控除」と称される。いわゆるワーキングプアの生活支援や、
   ワークシェアリングで引き下がる正規雇用者の所得を補填する効果を持つ。』とされている。(『』内
   は記事からの引用)
     筆者としては、この制度を現行定年制以後の勤労者については、例えば55才から70才の高齢者
   については、課税の刻みを高齢者が2階建て年金部分の年金受給より働く方が得だと選択するよう
   な制度として実施するのがよいと考える。このようにしておけば、ばらまき部分の準高・高所得者層
   の年金支給額を減らすよう度改正する場合の抵抗感をかなり軽減できるのではないのか。そして、
   この制度については、少子化のスピードがある程度低下するまでの、つまり、労働者供給の不足が
   ある程度軽減されるまでの、時限措置として取り敢えずは制度化すれば良い。つまり、経過措置で
   良いと思う。将来の明るさを求めつつ、一時の先行投資と考え、改革推進に全員参加を求めるという
   意味を持たせる施策となるものである。
         (注)以下は、勤労税額控除制度の仕組みの詳細説明で、「大機小機」記事からの引用であ  
        る。
                 『単身者を例にとって税(所得税・住民税)と社会保険料の負担額を試算しよう。収入百万 
        円の人は課税最低限以下として税はゼロ、社会保険料は10万円で合計十万円の負担。2 
        百万円の収入では税が10万円、社会保険料が20万円で合計30万円の負担。収入3百万
        円では、税が19万円社会保険料は30万円で、合計50万円弱の負担だ。
         これに対して例えば、百万円以上3百万円以下の勤労所得者に、収入の15%の税額控
        除を与えると、百万円の人は5万円の給付(15万円の控除から10万円の負担を引く)を受
        ける。2百万円の人は差し引き負担無し、3百万円の人は45万円軽減されて、15万円の負   
        担となる。収入が多いほど税額控除が多くなるので、労働インセンティブが働く。この制度   
        が適用開始となる百万円(時給7百円程度で、週30時間労働)迄は働かなくてはならないと
        人々が思うようにもなる。3百万円を超える水準で控除額を逓減させる必要がある。
         受給予定者は市町村に申請し、給付を受けるための審査を経て適格証明書をもらう。そ
        れを確定申告書に添付し、給与所得者は年末調整で、個人事業者は申告を通じて税額控
        除を受ける。控除しきれない部分は、市町村から給付を受けるという制度にすればよい。納
        税者番号がないので、課税最低限以下の人の所得情報を持つ市町村が所得審査を行うこ
        とが前提となる。
         給付部分を少なくするには国税と地方税、社会保険料を一体とした制度作りが必要だ。こ
        れには徴収の一元化につながる利点があることも指摘しておく。  (ミスト)』
                  以上が引用で、本文中の引用と合わせると、囲み記事の前文の部分以外を全て引用させ
        ていただいている。ミスト氏にお許しを請いたい。
  d)上記勤労税額控除制度については、ミスト氏の言うとおり、国税と地方税、社会保険料を一体とし
   た制度作りが必要になる。つまりは、税制の抜本的改革が必要ということである。此とある程度辻褄
   が合うように、専業主婦の就労を妨害するように働いている所得103万円、130万円の壁について
   も、当然同様の対応措置が考案されるべきであろう。即ち、配偶者控除・特別配偶者控除の制度
   は、税額控除型の制度に切り替えることが望ましいのである。当然税制改正が必要となる。
  e)このように、ワークシェアリングにより、より多数の人々が将来の明るさのために労働に参加する方
   向に向うようにシステムを変えれば、公費のばらまき的支出は減少し、国民がより多く働くようになっ
   てこよう。こうした生活様式が定着するならば、その実体面の経済循環は、必ず資金面の循環を伴
   い、金回りが良くなることには間違いあるまい。地道に働けば所得の増加を伴い、経済成長の見通
   しがつくようになると思われる。此は真面目で、継続は力なりという信条を持つ勤勉な働き手にとって  
   は、将来に明るさを確実に感じさせるものになる筈であろう。

 さて、以上の@AB項は、大幅な財政支出の組み替えと国民の生活習慣の組み替えとを同時的に提案している。また、そうしなければ、少子化の進行・絶滅種への道・年金崩壊は避けられないだろうとの論理も同時的に説明している。よって大改革が必要なわけだが、これをやり遂げるには、戦略的配慮を伴いつつ、工程表を作って、計画を実現していかなければならない。上記3点が、マニフェストの主要項目にはいることは、以上の説明からもある程度理解していただけるのではないだろうか。
 そして同時に、この計画を実現、運営、或いは、推進していくメカニズムについても、何らかの工夫が必要になるだろう。CDE項は、この運営・推進の実現に必要となる性質が強い施策なのだが、このC(学校教育)D(社会教育・日本教対策)E(道州制への移行)の各項説明については、上記の説明がすでに長くなったので、次回、4月29日(水)予定に譲ることとする。

posted by 合成の誤謬 at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする