B明るい未来の描き方・
現在の庶民の感覚では、多数の国民、これは、所得では中位数の所得の国民、年収では200万円〜250万円の人々が多数派なのであるが、これまでの構造改革の成果により、国の全体的景気は水面下の不況の底から、長くかつ緩やかな上昇過程を経て、ようやく水面上に顔を出した段階と見られるが、この回復過程では、総じて輸出を担う大企業が業績を向上させ、大企業の労働者においては、給与の改善が見られたものの、一方、労働者の大部分を占める中小企業の労働者にあっては、賃金は横ばいないし微減となっており、これが格差拡大として、問題視されている。そして、景気は既にピークを過ぎたと見られるし、海外環境も悪化して、この面からも、国民の生活は楽観を許さなくなっている。原油価格・食糧価格の値上がりは、いずれも海外からの影響が強い項目である。また、国内においては、財政面からの、プライマリーバランス均衡に向けての改革目標もあり、この間、福祉制度の不具合・欠陥が次第に強く感じられるようにもなり、増税・とくに消費税を引き上げよというマスコミからの主張がなされている。福祉制度の行き詰まり、増税路線は、将来の暗い道のりを予感させるものであり、将来に明るさを感じさせる施策については、現状具体策は何も目に付かないという状態であろう。。 。
言わずもがなの話であるが、『ただ飯はありえない(No free lunch)』の経済原則からすれば、何か前向きのことをするには、既往に存在した何かを犠牲にしなければならない。自然の恵みを得る場合も、通常は先行して、種まき、先行投資があるはずである。棚ボタの話は絶無とは言わないが、通常の計画では棚ぼたは例外の話と考えるべきであろう。 。
そうとすれば、明るい未来を描くための手品の種に当たるものは何か、が問われなければならない、可能性は無限にあるともいえるし、しかし、No free lunch の原則からすれば、これらはそう簡単な話であるはずが無い。また、実現に時間がかかることは、先行投資の先行投資たるゆえんであろう。
具体的名案が簡単に見つかるはずも無い。具体案になれば、全員賛成ということもありえないだろう。だから、多数決が必要になる。多数決は、近代社会における市民の自立・自由が生み出した、生活の知恵というべきものであろう。こうした困難を前提にして、あえて将来に明るさをもたらすと思われる要因を、個人的見解として以下挙げることにする。
第1は、原子力利用と考える。日本は、原爆被害を受けた国として、これについて拒否反応が強いが、安定供給・低コスト・大量の確保という点で、日本の現状ではこれに勝るものは無いのではないか。原子力発電所には、事故が時々起こるが、日本の場合は、管見の私の知る限りでは、現場に専門の技術者がいなかったため、事故原因が見過ごされたという事例ばかりのようである。
エネルギー資源の無いフランスでは、日本より大きいウエイトで、原子力発電に依存していると聞く、6割程度と記憶する。日本はせいぜい4割程度であろう。現在、拒否反応が原因で休止中の原発を利用できれば、目前となっている電気料金の値上げは、予定されたものよりずっと小幅になるはずと見られる。フランスのように原発依存度を上げれば、安定・安価のエネルギー確保として、日本の明るい未来を展望する基盤が確保できることになろう。日本の原子力安全利用技術水準は、フランスと並んで、世界のトップクラスにあると見られる。ウランの燃えカスの再処理技術・安全廃棄技術では、まだフランスより遅れているようである。この辺は、技術水準が遅れているというよりは、技術者の数が絶対的に不足しているのが原因と見られる。この様な人員配置の問題は、当該産業担当の、管理者・経営者に問題が有ると考えられる。
第2は、日本では、不足しない唯一の資源ともいえる人的資源の質の向上問題と考える。これは、『米百俵の精神』として、明治維新でも・小泉改革でも主張されたことである。つまり、教育にもっと投資すべきだとの主張である。そして、現状の問題点は、理科系の技術者の不足と見られる。またさらに怖いのは、学生の理科離れである。これ等へのカイゼンを指向する原因療法が、明るい未来を描くためのキーポイントと思われる。
これについては、7月16日投稿の日記、9月24日投稿の資料、などでも触れているので、重複する点はお許しいただきたい。現状では、理科の教員資格を大学院修士課程以上とすべきではないかと思われる、現状では短大卒でも免許が取れる。さて、今般行われた教育改革は、知育偏重教育の量的拡大が中心であり、学生の理科離れという、日本の将来の技術水準、TFP(全要素生産性)に負の影響を及ぼす問題点に対して、原因療法を提供するものとはなっていない。
来年度から施行される今回の教育改革、これはゆとり教育の是正という宣伝文句の下で、いわゆる「日本の空気」作りが行われ、学習指導要領の増量改訂、授業時間数の増加を中心として行われた。これについては、早くも教育現場において、消化不良現象が表面化しているようである。即ち、今春の先生へのアンケート調査からは、時間数が増えた理科について、実験が怖くて出来ないという先生が多い、また、生徒からの質問が怖くて、理科の授業は、質問が出ないように運営するという先生も10%位はいるようである。(ニュースソースは日経新聞、以下同じ) さらに、実験の映像をテレビに映して実験を行ったことにしている事例も多いとも言われる。
私見によれば、現行の学習指導要領は、小学校高学年以降における理科の実験・実習・自然観察の時間が少なすぎると聞いている。この過程で、本来なら、自然科学の法則、不思議さ、発明発見、自然界や人間発展の歴史を学び、興味を持って、児童図書ダーウインの『種の起源』や、シートンの『動物記』を読んで、好奇心をはぐくみ、人生の進路において、理工学系選択の誘引を持つことが多いのに、こうした機会や動機付けが無いことが、学生の理工系離れを生んできた一因と考えられる。
OECDピサの学力調査から見られるように、諸外国の学力向上努力の方向性は、知識とともにその応用力を重視している。日本の知育偏重、もっぱら大学受験指向という行き方は、現代では方向音痴というべきではないのか。そして、教育効果を上げているフィンランドの例を見ると、理科の先生は、小学校でも、大学院で修士の学位を持つことが,資格要件とされている。
迂遠のようではあるが、完了したばかりの、教育改革を早急に見直すことが、日本の明るい未来を描くための一重要課題と見られる。

