Qマニフェスト全体像の検討(その8)……マニフェストと整合的な歳入・歳出の骨組みとは
マニフェストについては、明示的か、或いは、暗示的かは別として、これと整合的な経済構造、財政構造が、その背景として想定されていなければならない。そうでなければ、このマニフェストは支離滅裂ということになり、マニフェストに掲げる政策は、実行過程でデッドロックに乗り上げ、或いは、空中分解してしまうだろう。現在の厚生年金制度は、その典型例と言っても良いのではないだろうか。そうであってはならないということで、次回の選挙のマニフェストについては、整合的なマニフェストの提示を与野党に求めたいし、マスコミもこうした方向で国民に啓蒙活動を行って欲しいものである。それ故、そうした方向でことが進むことを期待して、とにかく、心の準備のためにマニフェストの全体像を決める主要項目を列挙しながら、それらの整合性について考えてみよう。
第1は、本来は、将来目標のキャッチフレーズから取りかかるのが自然なのかと思われるが、次に見るように、不得要領の感が否めない。例えば、強引にこれを例示してみると、目標としては、@経済大国の再来、A消費大国、B福祉大国、C反小泉改革=格差縮小、D円安誘導の輸出立国、E観光立国(自然主、または、文化主)、F科学技術立国、G町人国家(貿易立国=仲介貿易に注力か?)、などがあり得よう。このほか、当ブログの推奨するものとしては、H最大多数の最大幸福を上げた。以上は何れも、その内容を想像しにくいとの感があろう。従って、第2以下を加味しながら、その具体化、明確化を宿題としながら、先へ進もう。
第2は、これも決定的な要因ではないのだが、現在の日本の置かれた状況から見て、事前に押さえておきたい基礎条件という意味で、「大きい政府か、小さい政府か」の問題を述べておこう。これについてのブログの立場は、2007年11月28日・12月5日の投稿分で述べているが(単行本・拙著にも掲載)、要は、日本の統治機構は3流である限り、これに資金を持たせても無駄遣いが多く、国民の幸福(最大多数の最大幸福)は実現しないと述べている。これに対して、麻生総理は、オバマ大統領の真似をして、政府の大きさより政府が機能するかどうかが問題だと発言したのである。これについては、一方の元祖オバマ大統領についてみると、米国は日本より国民負担率がそもそも低い、即ちその小さな政府の米国が、より大きい政府を指向する場合の説明としてこれを使ったものであり、これはこれで良いという理由がある。とすると、今回の麻生総理の発言は、表面的な猿まねで、その発言はやや空疎なものと言わざるを得ない。即ち、日本は、既にまた今や、ほぼ中福祉・中負担の状況で、このまま放置すると、大きな政府にならざるを得ないという段階に入りつつあるからである。麻生総理は、消費税を引き上げて、中福祉中負担を狙うようなことを言っているが、それならば、それが実現可能との整合的な理由説明を付すべきであろう。
では、その実状はどうか。2009年1月30日財務省は、国民負担率が2009年度に38.9%になるとの見通しを発表した(出所:日経新聞)。そしてこれは、財政赤字を加えた潜在的国民負担率が、47.7%になることを意味する。即ち、中福祉中負担と考えられる、国民負担率50%に、あと2.3%ポイントしか余裕がないと言うことなのである。ところで、今、国民年金の保険料納付率が低くて、これを高めたい、しかし、これまでいろいろ努力したけれども、納付率引き上げはさっぱりその成果が上がらない、それもあって、基礎年金の国庫負担を現状の3分の1から2分の1へと引き上げようという話が出ており、その財源を消費税に求めざるを得ないとの話の流れで、この消費税引き上げは主張されているのである。つまりは、日本は中福祉中負担が政策目標と言うよりは、無策のままではそうならざるを得ないところまで追い込まれているのであり、かつ、現行年金制度は、保険制度としては、もう実質破綻した〔逆選択が起きている(注)〕とも言える状態なのである。
(注)保険理論の用語「逆選択」については、ブログでは、2007年6月6日投稿分に記載したが、
既に過去ログの古い分として消去されているようである。とりあえずは、金融実務辞典を
参照されたい。なお、拙著単行本では、172頁に解説している。また、この解説を、
近日中に、資料として臨時に投稿する予定である。
現在の日本は、社会主義や、共産主義ではないはずなのだが、近代社会は、長寿社会になってきたので、自由主義だ、資本主義だと言ってみても、既に修正資本主義であり、中福祉中負担なら、つまりは、5公5民の負担率であり、自由度はそれほど大きなものではなくなっている。アダムスミスの頃の夜警国家、その下における自由な経済活動からはほど遠い話となっているのが現状である。つまり、米国の話ならばともかくとして、日本について市場原理主義だと騒ぎ立てる政治家がいるが、むしろこれらの人々の実態無視の方がおかしいのである。しかも、こうした公的介入肥大の状況下で、しかも、3流の統治機構のために動きがとれない日本の現状からすると、ここにきて、政府の機能度の話をことさら持ち出しても、国民は白けるばかりであろう。
その上、ここへ来て、現行年金制度の破綻予測という問題について、これまでの日常では「日本の空気」に侵されて、消費税引き上げで何とかなるとのほぼ一色の論陣を張ってきた日本のマスコミ界の中からも、一部ではあるが、さすがに此はおかしいぞとの見解が出始めている。当ブログや、これを単行本にまとめた拙著では、すでに2年前からこの点を主張し、しかし、そんなことを言うのはKY人間と無視され、あるいは、ごく少数派であったのだが、ここへきて年金制度破綻を裏付けるデーターが少しづつ出て来て、その流れに変化が生じつつあるのである。
この点は、内容説明抜きの抽象的結論では、合点が行かないと思うので、その結論への論理、その理由は、次項・第3で説明したい。ただ、財政支出の中に占める年金制度の歳出規模は、現在の日本では突出して大きいので、年金制度の抜本改革抜きには、中福祉・中負担もあり得ない、大きな政府になることが不可避と推定されることを頭に置きつつ、大きい政府は何故問題かとするもう一つの理由を、この項の最後として、もう一点見ておきたい。
資料の原典をメモすることを漏らしたので恐縮なのだが、今年になってからの、日本経済新聞の経済教室欄に、参考データーとして、国別国民総生産の成長率と、国民負担率のクロスセクション分析を図表にプロットし、相関関係の近似線が見えるようになっていたものがあったと 記憶する。それによれば、分布はかなり広がりがあり相関度はさほど大きいものではなかったが、兎に角、国民負担率が高くなると、成長率は落ちる傾向は読み取れるし、平均的に見ると、国民負担率が55%くらいまで上がると、成長率は平均的にプラスからマイナスに移行するという、そんな傾向を示す図表であった。
最大多数の最大幸福を、日本の進路の目標とすべしと唱える筆者が、大きい政府を原則として避けるべしと主張する一つの理由は、このような世界的な傾向を頭に置いた複眼思考から来るものなのである。
なお、次項第3の年金制度問題については、3月18日頃に投稿することとしたい。

