2009年05月13日

日本の針路に関する最近の話題:マニフェスト選挙関係・少子化対策について、5月13日投稿


◆少子化対策について

 次の衆議員議院解散総選挙の時期については、現在国会審議中の補正予算が成立したら直ちに行うべしという意見がある一方、どうせ秋には議員の任期満了が来るのだから、その時まで待っても良いのではないかという考え方もあるようである。これは、その程度の軽い案件と言えるのであろうか。日本の危機と言えるような緊急性は無いのであろうか。
 その時期は何れにしても、兎に角次回の総選挙については、日本の将来に明るさをもたらすような、そんな政策目標を持った政策パッケイジ・それも政策相互間で整合性のある政策群の構成を持つマニフェストを掲げた2大政党間の選挙により、次期の日本の総理大臣・日本の指導者が選ばれることが望ましい筈であろう。そして、このためには、即ち、その様な性格を持つマニフェストの例としては、国民に関心が強く、かつ、国民の最大の不安要因となっている(アンケート調査で最上位)、現在の年金制度の持続可能性に対する疑念に、答を出すという点が特に肝要と筆者は考えている。
 現在の政府は、マクロスライドなどという微調整のみで、年金制度は百年安心と言ってみたり、現在は、百年に一度というような経済不安に対する景気対策が優先で、つまり、景気対策に優先順位があり年金改革は後でも良いという、必ずしも安心とは言い切れないものの、年金改革は優先度を低くしても良いともとれる発言が麻生首相からは為されている。と同時に、首相は、自民党は責任政党だから、消費税の引き上げを行うとも発言している。しかし、消費税については、当面の引き上げは、基礎年金(=国民年金)の国庫負担率を3分の1から2分の1に引き上げる内容で、これに必要とする財源の額は、2兆円とか4兆円(消費税率にして1〜2%)とか言われている。そして、この程度の金額では、年金破綻、ないし、財政の破綻を数年先に先送りできる程度ではないかとも見られているのである。換言すれば、年金制度破綻を回避するための抜本改革からはほど遠い内容の話と受け取れるものである。つまり、責任を自覚している人間の発言としては、余りにも無責任な内容の発言と考えられるという言い方もできる。
 要するに、この様にあやふやな情報では、国民としては何とも心許ない状況に置かれていることになる。この状況については、筆者の年代の国民からすると、つまり、昭和一桁生まれの大平洋戦争を経験し、3月10日の東京大空襲の時に、東京が火の海となり、火を避けて学校構内の池のほとりへと逃げまどった経験を持つ人間としては、また、この様な状況に立ち至るまでに、政府発表は、即ち、当時は軍国主義政府で、軍部の「大本営発表」と、これは呼ばれていたのだが、1年前までは戦争は勝った勝ったで景気が良かったのであるが、神風特攻隊(飛行隊)が1機1艦で戦えば、戦争は勝てるということに変わり、まもなく東京が火と海になるという、その変わり方の早さには、考える暇さえも無いという状況であった。又、考える材料・確度のある情報がさっぱり無かったという言い方の方が実体を良く伝えるという状況であった。つまり国民には、大切な情報はほとんど与えられず、いわゆる「よらしむべし、知らしむべからず」という諺(注)で表される状態にあったのである。この点は、軍国主義から民主主義になった筈なのに、実は現状は当時に酷似しているというのが、筆者の実感なのである。やはり、これまでの政府の説明では、マニフェスト選挙用のマニフェストの内容としては、不十分と言わざるを得ないだろう。つまり、これで年金破綻は避けられるという原因療法が、国民に分かりやすく伝わってこないということである。筆者としては、ここ3回くらいで説明したマニフェストの1例では、関連する事項が複数となって取っつきが悪いとは思うが、因果関係の説明付で、原因療法の効果浸透経路が分かるという点で、現在の政府説明よりははるかにましなもの、それも格段の違いがあると自負するものであるが、読者はどのように受け取っていただけるのだろうか。
   (注)この諺については、拙著『戦略不在システム・「カイゼン」への道』200頁「ことわざ解説」をご参
     照。なお、近々当ブログ・サブカテゴリーで、資料として投稿する予定である。
 年金制度の抜本改革、つまりは、年金制度の持続可能性は、少子化対策と密接に関係して来るというのが、このブログの立場である。これはマニフェストの1例になりうるものと考える。ただ、あくまで1例であるから、当然外に、年金の持続可能性と日本の将来の明るさを確信できる政策の集合例が、この外にも有っても良いのであるが、筆者の管見のせいか、筆者は未だにこの様なものにお目にかかっていないのである。
 また、筆者の様な考え方については、これまでは、多分、KY人間の発言として、マスコミにはほとんど取り上げられることが無かったと見られる。しかしながら、最近になって、漸く、マスコミの一つ、日経新聞に、「人口危機の克服へ緩やかな出生目標を」と題する社説が掲載された(2009年5月4日付)。「緩やかな」とか「目標を」とか、まだ日本教に毒されてか、発言に今ひとつ具体性と迫力がないという恨みはあるが、それでも、社説にこのテーマを掲げるに至った点は、大きな前進と評価すべきであろう。 
  でも、この目標をどのような政策手段で実現するのか。願望だの・目標だけでは事態の改善はほとんど実現しないだろう。棒ほど願って針ほど叶うという諺もある。社説は、その末尾に、「フランスなど国民が強い意志をもって少子化の克服に取り組んできた國は着実に成果を出している。日本人もそれを手本とすべきである。」と、国民にお説教をする形式で、お茶を濁している。また、本文の中では、國・自治体・企業経営者・家族間の協力も十分とは言えないというお説教も為されている。無いよりは良いのだが、お説教ばかりで、目標を実現するための具体策の提案が無いのである。日本教に毒されたマスコミの限界なのであろう。これでは、国民を説得しこれを動かすことはほとんど期待できまい。
  筆者は、マニフェスト骨子の1例として、具体的に、若者の日常生活の改善、即ち、現状の働きすぎの状態を正常化するための具体策を、4月15日付投稿のブログで説明した。ワークシェアリング・若者の労働力を代替する女子と前期高齢者の就労促進、その促進手段としての税制改正、部分的な規制強化などを説明している。
  現状で政権を争うマニフェストというと、国民の不安解消・最大の関心事という年金破綻の問題について、国民に分かりやすい説明が為されなければならない。そして、年金破綻は、過去数10年にわたる従来からの少子化傾向に対し、対策らしい対策が採られず年金制度維持の負担が、余りにも不当に後の世代に強くのしかかることが、若者世代の反発を招いていることを意識した上で、どのような手段によりその是正をするのかが、国民、特に若者に伝わらなければ、マニフェストとしては落第ということでは無かろうか。若者は高齢者を敬えという、お説教だけからは、日本の将来を明るくするような成果は、到底生まれそうにないと思われる。そうして、こう考えるのは、KY人間の私だけという状況は、そろそろ変化してきても良いのではないだろうか。マスコミがこういう点について、国民を啓蒙する動きをしてくれないのが、誠に残念というか、これで日本の将来は大丈夫かなと心配になるところである。
 そうして、このマニフェストの1例については、2つの大きな特徴がある。第1は、この様な原因療法を含んだマニフェストの実行には、当然官僚内閣制・公務員制度の改革(つまりはセクショナリズムの打破)が前提として必要になるという点である。これには、官僚が一斉に反対するから、実現性がないとするのが、日本教の考え方であろうし、マスコミの立場は、未だこの立場から脱却できていないようである。だからこそ、マニフェスト選挙で、この点を争って、チェンジを実現して欲しいし、これが日本の真の意味での民主化への道であり、又、日本の将来を明るくすることの出来る王道と思われるのである。
 第2の点は、少子化は、自然の法則に対し、日本人の生活や経済活動が違反を犯したために起こっているという認識の有無の問題である。これはどこかに人間のおごりがあり、この点では、地球環境問題と類似の性質を持つ。要は、人間は生物の1種であるのに、特別の存在と勘違いするから、自然法則に抵触するような個人の自由を主張しているという問題なのである。人間も、生活は個人の自由ということはあるにしても、それは例外は認めないという程ではないのだが、さりとて、主流としては人間は20歳代に結婚し、家庭を作り、第1子の出産は、女性が20歳代で経験するべきであろう。この点は、生物学の常識として、義務教育で教えておくべきである。あるいは、神様がその様に人間をお作りになったと絶対的な信仰を持った方が良いのである。女子の第1子出産が20歳代でないと、異常分娩の確立が急上昇するし、帝王切開は、2度も3度も簡単に出来るものではないからである。つまりは、自然法則に対する違反は、それなりに自然からの報復を受けることになる。日本の少子化現象は、この自然法則違反からも、相当大きな影響を受けている。この事実に対し、日本の統治者が、日本の教育担当者が、はたまた、日本のマスコミが無知でいることについては、何をかいわんやということである。
 政策としては、個人の自由を確保しつつ、つまりは選択の自由を確保しつつ、インセンティブを活用する、価格機能を利用するという形で、国民を良い方向へ導くことが政策の要諦ということであろう。これは試行錯誤を伴うものであって良い。だから、民主主義、多数決、が望ましいのである。また、マニフェストを国民に説明する。失敗には責任をとるということも、統治者としての基本的資格であって欲しいと考えるものである。
  次回の日記としては、2週間後に、若者達の考え方について見てみよう。 
posted by 合成の誤謬 at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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