◎マニフェスト関連:少子化対策について(その5/資料編)
現在国会審議中の今年度補正予算案、また、来年度予算案の骨格を示す骨太方針、此はつまりは来年度の本予算案を展望してのものだが、これらの当面の経済政策メニューが、このところ新聞に各種報道されている。そうして、これ等のメニューは、来るべき総選挙の与党側マニフェストのメニューになるものであろうし、審議中に表明される野党側の意見は、野党側のマニフェストのメニューを想像させるものとなろう。
ところで、これ等の案と較べると、このブログの提案するメニューは、少子化対策に最重点を置いている点と、だから、前者2案が、将来の明るさ提示については殆ど期待が持てないのに対し、当ブログ提案は、将来に明るさを持てるかどうかのキーポイントが、少子化ストップの具体策、特にその可及的速やかな停止展望が得られるかどうかという点にかかっていると考え、この点に最重点を置いていることに、当ブログ提案の最大の特徴点がある。つまり、少子化は人の自由意思の結果であるから、その動きを制御することは不可能という前提に、日本教が立脚しているのに対し、つまり与党案ではほぼ100%、野党案でも8〜9割はその考え方を採ると見られるのであるが、これらとは対照的に、当ブログでは、ダーウィンの法則に沿ってまたその範囲内で日本民族が絶滅種になるかどうかが決まってくるとの見方を重視して、この面にもメスを入れる主張を展開しているからである。そして、その上で、当ブログは、少子化停止展望は、@成長率確保=所得向上=需要拡大、A潜在成長率向上=生産力・労働供給力の維持向上、B生産性上昇=技術水準向上、C格差拡大防止、の全てに効果があると同時に、@〜Cについては、此はその効果のための必要条件である、或いは、両者はお互いに裏腹で互いに他と因果関係にある、共鳴し合う関係にあるとも考え、それが明るい未来の展望を開くと主張するものである。以上の点が、前2者とは根本的に違う点と言える。さらにまた、少子化スピードダウンの実現が遅いと、この共鳴的効果は急速にその効力を失うものと考え、従って、前2者(与・野党に濃淡の違いはあるが、両方とも)が主張する程度の軽い少子化対策では、到底明るい展望には結びつかないという結論が導かれるのに対し、一方、このブログ提案では、少子化対策とその関連施策が効果を出し始めると、これ等はシナジー効果を持つので、上記のような多角的経路を通じて、将来の明るい展望が開けることに繋がるから、その違いは、決定的に大きいと主張していることになる。また、前2者の提案が、ともすれば外国の政策の物まね色が強い提案であるのに対し、だから、日本では効果を持つとしても、おざなりの効果になりかねないのに対し、このブログ提案は、日本人の特性をも勘案して、その得意技が発揮できるようにとの配慮を含めることとしており、それ故その効果も前2者より遙かに大きいことが期待出来るものと考えているところである。また、それだからこそ、その施策は、日本の常識からは、やや過激と見られる政策手段の形を採らざるを得ないのである。
前置きが長くなったが、当ブログ提案(マニフェスト用政策措置群)の特色を、幾つかの視角からその具体的資料材料を確認しながら説明しよう。
@年金制度の抜本改革は、何故、その制度の2階建て部分の「民営化」迄踏み込まなければならないのか。
a) 現行の年金制度の根本的問題点は、平均所得を代表に取り上げ、「現役の5割という所得代替率の維持」という履行不可能な約束を法定している点にあること。
即ち現行年金制度は、「賦課方式」(注)の上、現役の5割という所得代替率を法定し、此は経済の高度成長期、または、人口構造が底辺の方に広がりのある3角形の場合という特定の条件下においてのみ、履行可能のシステムだからである。現行の頭でっかち、将来の逆三角形の人口構成の場合には、消費税をどんどん引き上げても、消費税引き上げの困難性もあり、年金支給の原資調達は所要金額に追いつかない計算になると見られるのである。
(注)この点を、日経新聞、2009年2月24日の記事、表題「厳しい将来像愚直に示せ」では、次のよ
うに言う。「日本の年金制度の根幹は、働く世代が払う保険料がその時の高齢者の年金に回っ
ている点だ。働き手による引退世代への仕送り方式である。
この方式は人口変動の影響をまともに受ける。日本は少子化と高齢化が同時に、高速で進ん
でいる。……(約50年後の姿を想定すると、)現役世代が仕送りで支え続けるのは、無理があ
る。(以下略)」
つまりは、年金制度の抜本改革は、不可避である。この改革を多数決で決めるのはかなり困難なことと見られよう。だから、価格機能で、これを実現する、つまりは、民営化への漸進的移行でこれを実現する以外に良い方法はないと見られるのである。この移行の対象となるのは、所得十分位階層別で8・9・10位の中高所得層である。そのような金持ちについては、この対象となる人達は、計算上の積み立て方式の公的年金(企業負担分を含む)と、うち、大企業ではさらに3階建て部分の企業年金が上積みされている可能性もあり、さらに不足であれば、貯蓄して民間保険会社の年金契約を上積みする選択の自由を持つことになるから、不満は残るとは思うが、此が原因で社会不安が起こるような内容ではない筈である。しかも、この所得階層の人達は、相対的に小人数であるにも拘わらず、現行年金制度では現状の年金支給予算の50%を占める支出ウエイトの大きい金額を占めている。またさらに、現役の5割という支給額を維持するための保険料以外からの年金支給原資の中に占めるこれ等のウエイトを見ると、この相対的金持ち層への支給原資は、その原資全体の3分の2を占めるほどの巨額になると推計されるものである。この部分をカットすれば、無駄遣いが横行する大きな政府の実現を避け、中負担中福祉が漸く何とか実現出来ると見られる金額と推定される。以上は筆者の勘ピューターに基づく大づかみの推計をもとにする結論である。なお、賦課方式から来る矛盾は、下記の e) の統計値(「1世帯あたりの平均所得額の推移」からも推測可能と考える。
さて、そうは言っても、また、これには選択の自由があることとは言え、既得権者にとっては、これでは老後に安心は持てないという人々が出てきてもおかしくない年金支給事情となろう(全ての人がそうなるとは思えないが、……)。そして、それだからこそ、此までに記述した当ブログ案においては、2階建て年金の支給開始時期につき選択の自由がある形とし、反面定年制の廃止とその後の就労促進のための税制改正との、抱き合わせの制度準備・合わせ技の改革が必要になると考えるものである。なお、上記制度準備の詳細については、当ブログ4月15日投稿記事中のA項「若者中心のワークライフバランスの改善」、B項「ワークシェアリングの活用」を参照されたい。
この間、保険料以外の追加原資で、1〜5階層では現役5割の所得代替率を、また6・7階層ではこの5割の所得代替率が漸減するとの想定を行うものでもある。此については、追加原資は現行制度が必要とする原資の3分の1に縮小していることは、再度言うまでもないであろう。
b) このようなきめ細かい想定は、基礎年金の国民年金についても必要となる。だから、野党の主張するようなあらゆる生活形態を含む年金制度を一本化するのは不適当と考えている。一本化は、北欧のように所得格差が小さく、かつ、人口の少ない場合に成り立つのであろう。それ故、日本の場合は、厚生年金と共済年金とは一本化しても良いとは思うが、所得補足率に大きな差がある業種・職種については、これに見合って所得補足率が低くても、自己申告の所得で制度に入った方が低所得層では全員がやや得だと考え、中所得層では国民年金基金(2階建て部分)にも入る、その上の高所得層ではさらにその上に民間生保会社の年金保険に必要に応じ加入するのが有利なように制度設計するのが良いと見られるのである。それ故、国民年金(基礎年金)の原資は全額消費税という野党の主張も不適当と考える。此は少なくとも1割、一般的には2〜3割は保険料収入を原資とするのが適当であろう。国民年金の保険料にも、階層を設けるべきであろう。要は、全員参加型の制度設計・設計の見直しが望ましいという考え方に立つからである。
c) このような想定は、予定運用利回りの決め方についても市場金利から大きく乖離するものであってはならないことになる。この点は、政府与党案では、国民を欺くような数値(4.1%、因みに前回年金見直しでは、3.2%を予定、過去の実績は2%台)が公表されている。一方、野党では、この点には説明が無い。技術的な細目ながら、此は複利計算で用いられ、結果には資金繰り上で大きな影響力を持つ要因なので、マニフェストでは数字の公表が必要不可欠と考える。10年物長期国債の金利が1%台後半にあることを考えると、4.1%は国民を欺くような数値と言えよう。
d) 以上に述べた当ブログの考え方は、経済学新古典派の経済理論に準拠している。要は、市場の失敗が存在する場合でも、それは政府の失敗よりはマシであり、かつ、独占価格(この場合は金利)を避ける場合でも、その規制金利は市場が正常であれば成立する金利を想定して、予定運用利回りを決めるべしとの、経済理論上の結論に従って、制度設計をするべきだとの主張になるのである。
e) 次に、ここではやや視点を変えて、日経新聞5月22日に掲載された、1世帯あたりの平均所得額の推移を表示したグラフについて説明したい。此は最近発表の厚労省国民生活基礎調査の公表数字から作られている。グラフ自体を読者に見ていただくのが手っ取り早くて良いのだが、高齢の筆者はパソコンの技術未熟で、これを seesaa のブログ記事中に再現することが出来ないので、恥ずかしい限りながら、言葉で説明させていただく。グラフは横軸(左から右へ)が年次で、1988年に始まり、2007年で終わる。縦軸は、1世帯あたりの平均所得額で、この図では50万円刻みで、400万円から700万円までの間に、各年の数値が棒グラフで表示されている。
大づかみに言うと、平均所得額の推移は、概ね富士山型をしており、左側は1988〜93年まで急上昇、約545万円から660万円へと5年で115万円の増加。山頂は1993〜1998年の間で、約660万円と横ばいに近く、この間、1994年に約670万円のピークを付けている。山頂の右側は、左側よりは緩やかに下り、1998年から2007年まで、約650万円から約550万円へと、9年間で100万円の減少、この約20年間にバブルの発生とその破裂があったことをうかがわせる数値となっている。
ここで年金制度が、積み立て方式から賦課方式へと変わっていった経緯を思い出してみたい。戦後は高度成長が続き、人口も増えていった。戦後の復興と先進国へ追いつけ追い越せと奮闘した世代が、定年を迎える段になって、所得・月給の低かった時代が長かったために、その積立額からの取り崩しだけでは、高度成長後に続いた長期安定成長期も過ごした豊かな生活を送る現役世代と較べると、定年を迎える世代の生活内容が、現役世代とは差があり過ぎると考えられ、せめて、現役世代との比較で、余り大きな見劣りが出ないようにと賦課方式への切り替えが行われたのである。豊かな現役世代は、定年を迎える世代の奮闘とこの世代から受けた養育のおかげがあるのだから、という理屈付けも行われていたように思う。つまり、この切り替えの時期には、現役世代は定年を迎える世代より豊かな生活を続けていたし、この先も続けていけるものとの前提条件が当然のこととしておかれていたのである。ここで、この項のはじめに説明したグラフに戻ってみると、平均となる世帯の所得についてではあるが、もう10年近くも此が反転して低下を続けていることが分かる。この賦課方式は、所得上昇を前提として作られているのに、成長が逆転しているという点でも、最早存在意義を失った制度と言えよう。すでに、人口構成の面でも、少子高齢化が進み、制度維持が出来なりつつあることも見てきたところである。
このように見てくると、明るい将来を描くことが現状では如何に難しくなっているのかが、良く分かるはずである。そして、この事実を少しく複眼思考してみると、少子化傾向は20年も30年も前から此は予想できたはずである。長寿化の傾向も、過去にずっと続いたことである。経済成長についても、近代化が一巡すれば、成長力の鈍化はある程度はかなり以前から予想できたはずなのである。国際通商、国際通貨の面でも、戦後の繁栄をもたらした条件に、変化が現れてきている。地球環境という面でも、「成長の限界」という国連からの報告書が出たのは、もうかなり昔の話になっている。
では、何故、予想できた困難に対処策が採られずに此処まで来てしまったのか。つまり、同じ失敗が日本では、相変わらず、何回も繰り返されるのか。
このように深い詮索をしないと、解決策は見えてこない。日本の明るい将来像など、到底描けないと言わざるを得ないのである。官庁のセクショナリズム、長期計画のない政策運営。複式簿記の視点のない官庁会計。プラン・ドゥー・シーという計画運営体制と計画実施からの学習が共に欠落している体制。また、結果に対する責任体制、等々、問題点があまりに多いことに気がつかなければならない。或る程度このようなことまで、少しずつでも国民の啓蒙に役立つように、マニフェスト選挙が行われるようになって欲しいのである。

