◎マニフェスト関連:少子化対策について(その7/資料編)
◇日本教・信賞必罰(成果主義)の問題
前回の予告とは異なるが、表題の問題点につき過去ログを思い出してみよう。
日本の将来を明るくするような戦略・政策対応措置を考える場合には、日本人の弱点である、集団(ないし組織)内における盲目性、白か黒かに分類し、周囲が見えなくなるという欠陥(当ブログではこれらを日本教と俗称)を克服する必要がある。つまり、これからの日本の針路にあっては、複眼思考とか、多様性の許容とか、多数決で意思決定を行うとか、多数決に伴う試行錯誤の行き方を身につける、などが必要と考えられる。この点は、まず一つには、先行する西欧先進諸国の成功事例から推論されるものである。また、二つには、この点は中世期の封建的経済体制から、近代の資本主義、市場主義経済体制への移行と、これに伴う民主主義・政治社会体制への移行に随伴する人間社会の環境変化への適応のために、この複眼思考と多数決による意思決定が必要になったとも考えられることである。つまり、自由・機会の平等・自己規律・博愛といった近代的社会の原則(規範=環境の変化でもある)に伴う、必要とされる環境への適応として、日本教を卒業する必要性がここに来て痛感されるようになっているのである。(注)
(注)日本教については、当ブログで取り上げた部分(古い過去ログ)は、既に消去済みとなったの
で、拙著『日本の針路:戦略不在システム「カイゼン」への道』(アマゾン扱い有り)の第1章 c)節
D項(反省点4)組織内日本人の盲目性(山本七平・日本人論からの示唆)を参照。なお、この
項の冒頭注記部分は、近日中に、サブカテゴリー:資料16、として投稿する予定。
とにかく、地球の歴史において、適者生存は億年単位の永遠の法則と認められるものであり、強大な恐竜も、環境の変化に適応できなかった場合には、滅亡せざるを得なかったことが判明してきている。また、恐竜がその全盛期から、短期間のうちに絶滅種となった理由には、近年の研究では、環境への過剰適応(つまりは多様性の喪失)がその原因と見られている。(注)
(注)過剰適応については、当ブログで取り上げた部分(古い過去ログ)は、既に消去済みとなったの
で、拙著『日本の針路:戦略不在システム「カイゼン」への道』(アマゾン扱い有り)の第1章 c)節
B項(反省点2)過剰適応の性向(先輩尊重:過剰な真面目さと勤勉性)を参照。なお、この点の
詳しい研究については、野中郁次郎外5「失敗の本質」ダイヤモンド社を参照。
先に見た日本人の特性、即ち、山本七平史学では、「日本教」と命名された日本人の組織内での盲目性、集団心理の弱点については、現在の日本の置かれた状況からすると、この点を特に意識的に目配りし、その弱点克服を最優先の重要課題とすべしというのが、当ブログ筆者の主張である。この点は、何回も主張して、くどくなる点はお許しを頂きたく、ただ、此は日本民族が絶滅種になるかどうか、大平洋戦争で敗戦への奔流に巻き込まれ、本来なら滅亡してもやむを得ない経緯にあった処ながら、たまたま負けた相手が米国であったことと、その後の東西対立により米国の対日占領政策に変更がなされ、日本はこうした偶然的幸運に恵まれて、戦後の復活をなし得たものであるという歴史的事実の確認は肝要であろう。そして、日本の弱点である「日本教」は、かっての、大平洋戦争の戦前・戦中に見られたものが、またぞろその再来として、近年の日本経済のバブル化とその破裂に際しての、すなわち、いわゆる失われた十年を通じての、対症療法的政策依存の連続からも見られるように、日本教の欠点克服は、大平洋戦争敗戦の大失敗にも拘わらず、相も変わらず性懲りもなく克服できずにいるというのが現状だとの基本認識に基づく結論である。この間、小泉構造改革は、かろうじて、この欠点克服を試みた4年間・短期間の例外期間であったものの、近年の動向からすると、欠点克服努力は一時の綾・単なる道草程度に終わりそうな懸念もこのところ発生している。
即ち、小泉改革は、経済財政諮問会議を中心にその政策の行程表を作ってきたのであるが、その発議機関が、直近の本年度骨太方針決定では、事実上機能しなくなっている。因みに、此まではこの点に鈍感であったマスコミ・日経6月24日の社説ですらも、骨太方針の後退を伝えている。現在の状況からすると、日本民族が絶滅種から脱却することは容易ではなく、そうとすれば、このままでは、日本の針路に明るさを見いだすこと、その具体的政策手段を行程表で示すことなど、夢のまた夢と言うことであろう。とすれば、上記で述べてきたマニフェスト案を一つの事例として示すことは、よほどのKY人間だと言われる覚悟が必要なのであろう。それを覚悟の上で、ごまめの歯ぎしりと言われることになるが、しかし、将来の明るさに向けての行程表の一つの例として、マニフェスト用の政策パッケイジ中の一項目に、以下の、若者の生活改善(時間外労働の制限)と、これに伴う、初期高齢者の就労・専業主婦より共働きを事実上奨励するような税制改正を提案・説明したいのである。
1980年代に入り、日本経済の置かれた状況について考えると、単線的思考では解決が難しく、複線思考・複眼思考が必要な事例が多くなっている。例えば、現状では、完全失業率が上昇し、求人求職倍率が低下を続けている点が問題視されているが、これのみを強調していると、それは拙速の見方との誹りを免れない。すなわち、失業問題も職種別に見ると、全ての業種・職種で、労働力が余っているわけではない。看護士・介護士、小児科医・産科医・プログラマー・シズテムエンジニア・原子力発電関係の技術者などは、かなりひどい不足状態にあるとみられる。そして、前の4者については、報酬額が規制対象のために、つまり、プライスメカニズムがうまく働かないために生じている不足と見られるし、後の2者は、経営者がその必要性を理解していないこと・つまり啓蒙の不足と、中間管理職が、現場の必要性をトップに上手に伝達しないための風通しの悪さの放置という問題と、さらに、プログラマー・システムエンジニア・原子力発電技術者側も、団結による対抗力の不足という側面も考えられ、これらが複合し、人事管理や報酬・処遇制度のひずみをもたらした各種各様の不備に起因したものと見られる。なお、上記に加え、20歳代のプログラマー・システムエンジニアについては、少子化是正について、特に労働時間規制の強化、超過労働時間に関する賃金割り増し度合いの強化、さらに、これらの裏付けとなる、生物の種族存続に必要な、生物学を、学校教育でも、社会教育でも、現状の不足を早急に改善する指導措置が執られることが望ましい。これもこの職種では、労働需給に影響する特殊事情・特殊問題が存在しながら、それにも拘わらず、それが無視され放置されているということなのである。事ほど左様に、問題は単純ではない、複眼思考が必要だということになる。
さらに、これらの措置の緊急性を多くの人々が理解するように、既往の失敗をもたらした関係官庁、具体的には、厚生労働省と文部科学省については、幹部の入れ替え、幹部人事権をこれら2省から他へ(取り敢えずは内閣府へ)移すことが、必要になろう。既往の失敗に信賞必罰で望まないと、同種の失敗が何度も繰り返される歴史の証明は、既にこのブログでも記述済みとなっている。(注)
(注)このブログでは、大平洋戦争で指揮官に信賞必罰で臨んだ米国と、温情主義で臨んだ日本
が、その後の作戦面の深化の有無という形で、大きな成果の差異・結果の違いがもたらされたこ
とを述べた。しかし、当ブログで取り上げた部分(古い過去ログ)は既に消去済みとなったので、
拙著『日本の針路:戦略不在システム「カイゼン」への道』(アマゾン扱い有り)の第2章 e)節 成
果主義、信賞必罰の欠如が戦死者を増加させた具体例――信賞必罰は指揮者・参謀に特に必
要―― を参照。
以上の様な、日本民族の絶滅種化の危機における対処方針として、日本における会社の定年制の廃止、定年時期の選択制実施、ただし、前期高齢者の労働条件については、年金制度と連動させ、少子高齢化という現実と整合性をとるといった政策措置が望ましいことになる。この点は、2009年4月15日、同30日 のブログで、その概要は一応説明済みとなっている。
この問題を一つの事例に沿って分かりやすく説明しよう。かって、嫌われる職場として3K=汚い、きつい、危険、と言うのがあった。これに次いで、新3Kとか、新7Kと言うのがあるのだそうである。新3Kは、介護士・看護士さんを想定するのだろうか、=きつい、給料安い、帰れない、というものだとか。更に、システムエンジニア・プログラマーについて、これらは今や半数近くが女性によって担われているようなのであるが、新7Kとは、=きつい、給料安い、帰れない、休暇とれない、規則厳しい、化粧乗らない、結婚できない、だそうである。システムエンジニア・プログラマーは、日本のサービス業の効率化とか、交通体系の効率運行とか、宅急便とインターネットを組み合わせた需給調整+珍品の入手とか、活躍の場が大きく広がりつつあり、今後もますますその活躍が期待される職種の筈だが、これ等が給料安い、結婚できない、という状況では、日本に明るい将来を描くことなど、夢のまた夢になってしまうのではないのか。野鳥の「とき」は保護するが、20才代に第1子を出産しないと、異常分娩の比率が急速に高まるということが人類について生物学的に分かっているのに、30代になってからの婚活が盛んになるというのは、日本社会では既に常識が通用せず、どこかおかしいと感じるべき状況と見なければならない。おかしいという声が起こらないことは、日本民族が、既にバランス感覚を失い、絶滅種になりつつあるという客観的証左のようにも思われる。このような問題点の発生には、その原因があるはずである。その原因は何か、又、その原因療法は何か。不作為のまま此が放置されたのは誰の責任か。此が信賞必罰の対象にならなかったのであれば、そのような制度には、欠陥があるはずであろう。構造改革で制度の改善が必要であるし、正にその制度改革の内容が、マニフェスト選挙により、具体的問われなければ、日本国民は浮かばれないという問題の筈である。
さて、ではどんな具体策を準備するべきであろうか。これは次回に。

